together with global breathing

mabulの光翠、こころが動いたことを綴ります。 永遠に地球が平和でありますように。

Koishikawa botanical garden

雨の植物園はたとえ休日でも人けがなくてほっとする。

ポンチョの親子連れやひとりの若者をちらっと見かけるだけ。

ここには百年単位で成長している方々がいる。

ヒマラヤスギのパインコーンがまだ真っ白。

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夏の樹木に色どりを添えるのは百日紅

集中してみつめ続けると気持ちがざわつく。

レッドチェストナットのような雰囲気がある。

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とお目に見て白い霧がかかるように咲いていたのはエンジュ。

咲いた後に豆のような実をつけている。マメ科クララ属。クララって・・・

蕾が生薬になるそうな。槐花(かいか)っていう。

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水辺に茂っているショウガかなーと思ってみたらミズカンナという花だった。

クズウコン科(くずって・・・)ミズカンナ属

茎頂に円錐状の穂状花序をつけると。

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星について考える

本日早朝はペルセウス流星群の極大だった。

雲の上ではどんなシャワーが展開されたんだろう。

 

法則を知ること、法則に沿って読む、法則を逆にしてみる、法則を無視してみる・・

自由さを保証された場でのびのびと学べる喜び。

太陽魚座、月水瓶、東海豊さんの講座は未来からながれてくるよう。

 

本日からサビアンと三重円の講座がスタート。

今月からぞくぞく初級講座も開催。

詳細お申し込みはこちら。

http://the-serendipity.com/4corners/about

 

師を変えてみることは、新しい視点を手に入れることと同義。

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写真は天秤座16度、流された船着き場、のイメージ。イギリスにて。

 

トレーニング備忘録③

 海が見たくなって久里浜

フェリーへいざなわれるが今日もお寝坊でございます、千葉へは渡れませんよ。

いつか行ってみたいと20年以上片思いだったくりはま花の国へ。

ここは、ボランティアのお仲間が写真を取りにいくんだよーと薦めてくれていた場所。

どんだけハードル上げてもこのお天気平日、夏休みだから親子連れもいたが閑散具合は一人歩きにはほどよかった。

 

都内よりも何割も蒸すここは臨海。森もあって息が楽になる。

暗がりの道を横切る茶色い奇妙な群れ・・・中途半端な大きさの一軍は野生化したニワトリか。

なんとなく避けられているのでこちらも歩みに気を遣う。お邪魔しますね~。

鳥の?一家をやり過ごすとものすごく人なれした猫が毛つくろい。

 

展望台でしばらく深呼吸して海を眺める。

霞んで遠くは見えないけど潮の香り、汽笛、それを眼下に臨むのは心安らぐ。

少し晴れ間がでて、多種多様な蝶がひらりひらり、湿度に負けじと花から花へ。

蝶は好きではないが遠くから目の端にとどめる程度であれば素晴らしい自然の一部。

 

更に歩いていくと、全県を代表する樹木が植えてあるエリアに。

おお、久里浜で全国の代表者に会えるとは!とわくわく。

・・たしかに、皆さんしれっと育っていらっしゃいましたが

沖縄代表の方と北海道代表の方を同時に植えてあるのはちょっと奇妙な感じがした。

元気いっぱい雑草も生えていて、草取りも大変じゃ~と思いつつ道なき道をゆく。

そして、北陸エリアで野兎を発見。

さらにリスとテンも発見。

生きものが豊富なのね・・とワイルドな方にも出会えた喜びをかみしめる。

 

さて「花の国」であるので花をみないと、と夏の代表格ヒマワリを見に行った。

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ミツバチが一心不乱に花粉を集めている姿に心打たれる。

こんなに足に重りをつけるかのように・・・と彼らの涙ぐましい働きに想いを寄せる。

 

ハーブ園はほとんどヒマワリに占拠されていた。

窓が全部あいている温室には矢車草など。

足湯広場は子供と若い奥様とおじさまおばさまで賑わっており、そっと立ち去る。

 

田んぼかとみまごうコスモス広場は立ち入り禁止にされ、除草などお手入れの真っ最中だった。

これを維持するのは本当にご苦労だなと思う。

 

どこがトレーニングなんじゃというようなウオーキングもけっこう歩いて足が棒に。

ペリー公園と海岸までと思ったら雨が降ってきて打ち止めに。

 

 

楽なほうへ流れるこの気質をおもうと、やっぱり運動は好きではないと認めざるを得ない。

トレーニングは苦手だが、大自然が好きで好きでたまらない!がぴったりかな。

 

トレーニング備忘録②

とにかく起きられない。

体に従っていると昼夜逆転生活になってしまう。いかん。

いかんけどまた寝坊し、山に行くのにお昼出発。

 

 おなじみだったのに、久しぶりに大山。

お空の具合と伊勢崎についた時間、そして体力を考えても頂上は厳しい。

空の水筒を2本もって今回はお水取りを無理のない目標に。

あわよくば途中まででもいってみよう、夫婦杉ぐらいまでとか。

 

バス停で声をかけられたお婆さん、めっちゃイケてるカメラをさげ小さな滝を撮りに行くんだとか。

でもスマホで撮った作品を見せてくださった。滝、花、虫、・・スマホのほうがとりやすいんだろうなと。

家から見事な富士山が見える秦野にお住まいなのに

「山は嫌いなの~」と被写体にはしないんだとか。日常ですしね。

あれやこれや、バスに乗っている間に曇天から雨がこぼれてくる。

車内で合羽へ更衣。蒸すわ~でもなんだか肌寒いわ~。

 

終着駅では本降りのなか爽やかにお別れをして坂を上がる。

一緒に登り始める人はいない。

今日はご縁日でもなんでもない日。参道も静か。

ケーブルカーの駅を過ぎて里山の道をゆくころには蝉とカジカの声だけになっていた。

 

歩みは同じスピード、登りも下りも同じ、足の裏がしっかり大地をつかむように

息があがるたびに深呼吸をして胸郭を意識して使う

全麻ってどこまで呼吸抑制がくるのかしら、意識してできないことになるなら

どこまでトレーニングしておいたらいいのかしら、など取りとめのない思いがよぎっていく。

下肢の荷重がかかっている筋肉にも想いを馳せる。

連動する関節、筋、腱、ここをつかうとここがこうだな、という動きに集中していると

汗が垂れ流れてても気にならなくなりいつの間にかお不動さんの階下にいた。

 

最近好んで読んでいる不動経の御眷属さまにニコニコこんにちは。

雨の重みで頭をさらに垂れる紅葉にも優しくタッチ。

 

先客のご夫婦がいるだけで静かな境内は雨音に満ちていた。

汗と雨で内も外もずぶ濡れの私はさすがに上がるのはご遠慮し、脇で拝ませていただく。

どうもご夫婦がお護摩のご祈祷を依頼している様子でちょっと期待。

初めて雨降山大山寺護摩を間近にみることがかなった。

ご住職はお一人で法螺貝、太鼓、お経、護摩、などこなされていた。

そういう方法もあるのか、と目から鱗のことも心のノートにメモを取る。

護摩の最中から寺男(おばさんだったけど)がつぎつぎとほかの仏さんのお水など回収し始める。

思ったより時間がたっていて、お寺をしまう時間になるんだ、と時計を見て焦る。

 

護摩の終わりに退室し大山阿夫利神社へと向かった。

寺をでてすぐに霧に巻かれた。

これは雲?白いうねりのなか一歩上がるたびに白みが濃くなる。

その白さを一呼吸ごとに体に取り入れる。

しみじみと肺から血液へ溶けていく様子をイメージすると内も外もすべてが塗り替えられていくように思えた。

どんどん精気がみたされていく。

吐く息すら白くなりそうなのに、体はこんなにも熱を帯びて。

しろいしろい自分に循環されていくような快感が脳に走る。

取り込んでいるのに取り込まれている、境界のあいまいな世界へ踏み込む歩みが

しびれるような喜びに変わっていく。

何者でもないものになっていく、何者でなくてもいい、自然と顔がほころぶ。

 

遠雷が近づき、やはり雲の中なんだなという認識があった。

稲光は見えないけれどびりびりと産毛が立つような感じがする。

頂上の奥社には大雷大神がお祀りされている雨降山。

そう、この山はとことん湿っぽくて普通なのだ。

 

神社前の売店エリアに出た。

青山か清澄にありそうなおされカフェができていて子供があそんでいた。

若いおかみが小さな声で「お疲れさまで~す」という。

大山詣り~という登りが何本も連なっていて、お詣りが文化庁認定の日本遺産だということがわかった。

 

このころには下界は雲海につつまれ、まるで天空の神社。

雨も小降りに、ほどよい風が吹きおろし体を冷ましてくれる。

しかし見上げる山は雲に覆われまったく姿をみせてはくれなかった。

ちょうどこの高さだけが息継ぎみたいに雲の切れ間なのね、ありがとう、と。

 

参拝を済ませてからお水をいただいた。

緑龍の口からほとばしる、とろっとしてまろやかなロックウオーター。

うわー、生きかえるーと、ほどほど足腰の疲れに染みわたる冷水。

 

頂上への登山口で、次回お邪魔しますという約束をして本日はこれにて打ち止めとした。

 

 

なんで帰り道ってこんなウキウキなのかしらー、と足取り軽くぴょんぴょん石段を下りた。

滑る滑る、でもうれしい。ここまででも登れたことがうれしい。

 

石が飛んだ!とびっくりするくらい大きな艶のあるウシガエルヒキガエル

体の何十倍もびょんびょん跳ねて河原へ消えていくトノサマガエル

米粒大の?蛙もそれなりに蛙

一日で一年分ぐらいの蛙をみた。蛭も体温をさがすようにくるくる回っていた。

 

下山するたびに雨脚が強くなっていった。

街灯がともり夜のとばりが迫っていた。

 

 

そんなバス停50Ⅿ手前にリュックに帽子、だけど傘がない、そのビニール袋に穴を開けてかぶった奇妙なおばあさんが立ちすくんでいる。

問われる、「バス停はどっち?」。

 

その老婆のため早めにバス停にゆき、ヤンキー座りで煙草を吹かす運転手に時間を確認。

「16時に出ますよ!」

老婆は直視できないほど恐ろしい笑顔を浮かべ私についてきた。

そして同じ売店で違う野菜を買いバスに乗り込んだ。

 

町はゲリラ豪雨になっており、バス内で脱いだ合羽を着る意欲もなく

濡れることを楽しみながら遅延する電車で運ばれ帰路についた。

 

 

トレーニング備忘録①

ハイキング三昧の日々だったのを受け、できるだけこの体力を(微力ながら)キープしたい。

そう思って久しぶりの都内ハイキングは高尾山から。

 

梅雨の戻りにある関東、足場はスキップスリップのぬかるみ、

家から合羽着ていこうかというぐらいのお空でも関係ない!歩くのだ!

いつもの6号路のタイムでは上がり切らなかった。

ちょっと悔しいけど体の声をきくと納得。

かろうじて雨が上がった頂上では雲の中でランチの方々も。

 

次は別のルートを開拓したい、植物園もまわってみたい、富士山もやっぱり見れたほうがうれしい、など薄く野望が。

本堂に遠慮なくあがりこんで思いっきりお経唱えていたら本日最後のお護摩は無くなりました、のアナウンスであっという間に撤収。

次々と仏さんの扉が閉じられていく。帰らなきゃだめなんね、わかりました。

 

滝と護摩のセットプランがやはり本筋ではないかということも確認でき満足でございました。

 

 

6月活動報告@南阿蘇+益城福祉仮設

水無月 

入梅の声をきいてからの空梅雨はこの数年の傾向かもしれない。

蜂の巣もすぼめ気味・・

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今月はセラピスト3名の参加で37名の方を施術。

阿蘇にある大きな仮設住宅は6か所あり、そのうちの2か所を訪れることができた。

また、個人的に繋がっていただけた益城町の福祉仮設でも実施。

 

ボランティアの波がひいていってから、いそいそ仮設デビューするのはやっぱり出遅れた感があるのと、今更なにを~という感じを勝手に想像。

ボランティアの受け入れにお疲れでは無いだろうかとか、へんな人と思われないだろうかとか、頭で考えることにも疲れてしまい

とりあえず行ってみよう、と最後は開き直って出向いた。

 

先月に引き続き、長陽グランド仮設。

ほぼ予約は埋まり、継続してくださっている方のご様子もうかがえることができた。

翌日に住宅再建の相談会があるとのことでみんなの家には椅子や机などを搬入する方が出入りしていた。お構いなしでマッサージをしていたら、その方がたもしてほしいなあ~と。ということで5分ほど肩だけトクセン。これだけでも劇的にコリが取れた!と喜ばれる。

また、プリンターやpcの調子を見に来た電気関係の方にも肩だけトクセン。たった5分でもこんなに腕も肩も楽になるのです。

こんな反応良好でこちらもめちゃめちゃうれしい。

 

マッサージができるかどうか未定のまま伺ったのが陽の丘仮設。

自治会長さんの了承がないので、みんなの家では実施できず。

なのでご希望のあった方のお宅で行った。京都畳で4.5畳?と思うほどの広さだった。

この一年のこと長屋暮らしの厳しさ、などたくさん話して下さった。

 

益城の福祉仮設は、個人的な紹介というご縁で。

「まず、すわって」と椅子をすすめられた。

そして、どういう目的でマッサージをしているの、と問われた。

確かにどこにも所属がなくて誰に支持されるでもなく動いててそれも無償で?なんて怪しい情報だ。

できるだけ簡潔に自己紹介と活動のことをお伝えした。

視力がかなり低下されているので、こんな見ず知らずの者を家に招くのも勇気がいることに違いない、当たり前の質問で、なるべく丁寧に話した(つもり)。

疑うわけではなく、マッサージの後に何か買うのか、などそういうこともあるしほかの方にご紹介もできないでしょ、とおっしゃられた。そういうこともあるのか!?

被災地をビジネスにする輩もいると聞いたことはあっても・・・驚きだった。

とりあえず、うっすら信用を得られたとあり、マッサージをさせてもらえた。

おかげさまで同じ長屋住まいのご夫婦宅にもお邪魔できた。

福祉仮設は6戸だけで、公民館のようなものはない。

最小限のバリアフリーのスペース、駐車場、掲示板、のみが住宅街のど真ん中にいきなり存在する。

お部屋は初期のころに建てられた仮設より広く、間口も大きい(車いすが十分通れる)。また木造ですこし雰囲気は柔らかい。

住民同士の交流はまだ活発ではないとおっしゃる。

みなさんが抱える福祉テリトリーの事情は、気軽に交流することへの見えない壁になっているのかも。

 

今回は新しいこころみと出会いがあって、つなげていければ、と強く願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

以下、個人的なこと。長いのでスルーで。

 

マッサージに出向くようになり一年。

私にとって一年がすぎた。

 

駆け足の活動だったようにも思うし、まだ一年ってかんじることも。

ほんとうにたくさんの方々に支えらえているということ、

ひとりでは何もできないけれど、繋がることやこころをこめて伝えることで、

思いもよらぬことができてしまったりする、

そんなことを体験を通して思いしることができた。

 

災害の時に、そのあとに、どのような経過を踏んでいくのか、

遠くにいながらもわたしなりに感じることもできた。

その場に立つことでひしひしと伝わるパワーとあちこちから入ってくる情報。

新聞ではけっしてかかれないこと。きれいなことばっかりではないこと。

誰にも見てもらえないけれど、小さな積み重ねが実を結んだこと。

すぐ手の届くところに、欲しかったものがずっとあったということ。 

 

思いがけないことは、「ボランティア」ということに対する認識を再確認できたこと。

自分のこともだけれど、自分以外が思っていることも。

 

 私にとってはやっぱりボランティアは私のためにしていることだった。

これやりたいなあーどうかしら?、OK!やってよ、というだけだったこと。

とっても個人的なことだけど、こつこつしてるうちにどんどん参加してくれる人が増えていって、そのうち時間も労力も物もお金も、そして温かい気持ちも集まってきて。

みんなすごいー!の一言。

助かっちゃった~、ありがとう!わし、本当に楽しんでいるの。

言葉が足らないしうまく説明はできないけど、自分のためにしている、だけなんだなあと。

このマッサージがあってもなくても何も変わらなかったかもしれない。

でも確実に言えることは、

私は一年前よりもトクセンもマッサージもうまくなったし、熊本のことも少し知ったし、熊本の人々のことも少しわかるようになったし、日本中からやってきたいろんな活動をしている人たちと多少なりとも交流し、お互いのことを知り合うことができた。

エネルギーワーク、ボディワーク、カウンセリング、どれをとっても新しく出合うことにこんなワクワクしている自分がいた。

そして関わった人のフローを直接でも間接でも見つめてこられたということ。

みせてもらえたということ。

 

もうひとつ、どうしてもご縁でしかなかったということ。

地震の前年に訪れていた、だけのことを縁にしたのも自分。

ここで関わらなければだめだ!となぜかファイトしたのも自分。

自分に約束したこと、一年は守ってきたんだー。素直にうれしい。

 

 

こんなしつこくつないでこれたのは、多くの協力があったから。

その協力の一つは、熊本、という場だった。

地震の原因でもある大地は、ずっと変わらず恵みを与え続けてくれていた。

どんなにへとへとになってても温泉に入ってお水を飲んで、獲れたての野菜をかじってたっぷり眠ったら不思議とまた元気になっていた。

ふかぶかと眠っている闇夜にはみたこともない星空がひろがっているんだろうな。

朝日がやってきて、あたりまえに夕日に変わっていく空、

田畑を潤す水脈と自由な風を全身で感じながら

すみずみまで健やかに支えてもらえたのはこの場であったからこそ。

 

このまま大地になってここであまたの命の巡る様を見守っていきたい、そう心から思った。

 

 

愚痴をきいてくれる友人がすぐそばにいてくれたことも大きな支えだった。

マッサージ以外の深い闇もシェアすることができて、私は本当に幸せだった。

同じだけマッサージをして家事もして、買い物も、掃除も、車の運転はすべて。

朝の散歩にも毎日つき合わせ、急な私の欠席にも動ぜず引き受けてくれた。

ずっと甘えっぱなしだった。

さぞや大変なことに巻き込まれたと思っていただろうな。

家族のようにすごしてくれてありがとう。

一人ではなくて心強い毎日だった。

彼女なくしてこの継続はなかった。

ℱさん、ほんとうに、ありがとう。

 

 

 

私以外の人が感じてるボランティアっていうことにもいろいろ聞けておもしろかった。

ボランティアは偽善で、そういうことが世の中をダメにする、くらいすっぱり言われたのも目からうろこで。

自分のことを一生懸命するだけでそんなことする必要なんてない、ということらしい。

 

ボランティアは誰かのためにしていることで、自分のことをほったらかして他人のことを構うなんて、偉いわね、すごいわね、っていう感想。

 

ここ最近、とくにかけられることばは「ありがとう」。

とても素敵なことだまなので私も常に連発なのだが

マッサージした人以外からかけられることにはいつも疑問だった。

 

 

いろんなひとがいるのだから、いろんなとらえ方があるので

そういう風におもっているんやなあーということがおもしろいことだった。

 

 

 

 総括ではないけど

変わらない私の中の真がさらに強化された気がした。

あんまり頑固になってしまいたくないから

はんなり強化されたっていうか・・・

 

それは、自然とともにいないとズレていってしまうんじゃないかってこと。

熊本で人に触れ合っていると

いかに東京での触れ合いが緊張をはらみ何か追い立てられているようであるか

また、何かみられているような、なにか届かないままでいるような、そんな不燃焼な印象であるかがはっきりわかってくる。

どこか大切な部分を明け渡し、なにか不必要なもので埋めつづけおかしくなっているというか。

不健全性、というものは当初から感じてたことだったけれど

そのひとの健やかさってどこにあったのか、ひも解いていくのにとてもとてもエネルギーを使っていることにも気が付いてきていた。

何が良い悪い、という単純なことではないので説明もうまくできない。

東京以上に大都会が故郷の人だっている。

そういう人はネオンを見ると故郷に帰ってきたってホッとする。

 

こう考えている自分がぶれているからだろうか、ってなんども振り返るけれど

ブレていても変わらないものは変わらなかったから

なんだか奇妙、でもこれが私も感じてることなんやって。

 

 

圧倒的な自然に中にいると、自分に正直でいないとやっていけなくて

それが怖かったり苦しかったりする人もいるだろうけれど

ただの自然の一部でいさせてもらえる安心感

わたしはあの崩れた土砂だったかもしれない、なんていう無常さ

 

そういうことを感じていたころのことも思いだしていた。

 

 

 

 

 熊本にはもう少しマッサージにいきます。

 

皆さまにいらんって思われるまで、というと長いかな。

とうぶんは。

 

 

 

仮設、再び

まずは風が

そして雲がうずを作り集まってくる

低気圧の予感

台風の前はドキドキした

なにか思いもかけないことが始まるのではないかというワクワク

言葉にならない不思議なきもちになった

手の届くところに未来があるような

 

そんな気圧の変化を体で感じる人もいる

「雨が降るまえはわかる。体がおしえてくれるわ。」

 

37年続いたペンション、大家族でのにぎやかな暮らし

引きも切らない全国からのお客さんを迎える喜び

全部なくなって、どうしていいものなんでしょうね、と。

 

 

 

あの日まではどこにも不都合のない元気な私。

あの日から病気のオンパレード。

「もう病院通いにも疲れました。なんのために生きているんでしょうね。」

先月のマッサージでは泥のように疲れ切っていた方。

ほんのわずかなタッチでも劇的に変わるのだが、繊細だからか気持ちが落ち込むのも早い。

 

 

 

こわれたものは、完璧にまったく戻ることがあっても

壊れた時を経た自身でうける印象や感じってまたちがう。

まったく同じ、っていうのはそういう意味じゃない。

 

 

 

予約の方がほっこり全て終了して、お茶を出していただいた。

さすがペンションのオーナー、

美しい花柄のティーカップセットでおいしい紅茶を入れてくださった。クッキーを添えて。

 

小一時間4人でにわか女子会。おしゃべりはとまらない。

 

 

そとは風がやんで雨が

永遠を告げるように降り続いていた

 

 

 

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