together with global breathing

こころが動いたことを綴ります。永遠に地球が平和でありますように。

セルフグリーフケア ②

叔父について。

 

どうして、こうも書き進められない痛みがはしるんだろう。

それはとうに彼の痛みではないはずで

30年近くたっているにもかかわらず、彼を愛し続けている妻と子供たちの想いのほかに

なにがあるといえるんだろう。

 

何も知らない私が叔父さんについて書くことに

許可がいるとか要らないとかという話になるのだったら気持ちよく抹消してほしい。

 

何も知らないことが多くを傷つけていることはいっぱいみてきた。

一瞬でもそうであるならば、よろこんで削除しよう。

 

連絡がなくなって久しい大切な血筋の皆さま、叔父さんのことを書きます。

見逃してください。

 

 

叔父さんはめちゃめちゃかっこよくて、映画スターのようにスタイル抜群、大柄な体躯は野球選手のようだった。

叔母さんとの新婚旅行で着ていたアロハシャツがはにかむくらい眩しい素敵な紳士だった。

頭もよくて、お酒も強くて、銀行に勤めていて、ジョークも冴えてて

何よりも家族や社会に責任と倫理をつよくもった、非の打ちどころのないひとだった。

頼もしくて頼りがいがあって、何をさせても絵になる叔父さんだった。

 

訃報はいつも突然にやってくる。

叔父さんが亡くなったんだって、だからお悔やみに行こうと

中学校から帰ってきたときに涙ながらの母に言われ、何をいってるのか全く理解できなかった。

 

叔父さんね、昨夜はお客さんのお付き合いとお接待で遅くまでお酒を飲んでいたんだって、それで散会したあと、おじさん一人だけ寒い外で残されたんだって、そのあと誰も叔父さんをみてくれていなかったんだって、帰ってこれなかったんだって、・・・と母が要領を得ない話をするが耳に入ってこない。

 

姉と母と一緒に行ったんだろうか、まったく信じられなくて叔父さんの家に行った。

間口の広いガラスの引き戸だった玄関は開けっ放しで

近所の人があわただしく出入りしている。だれもが声をひそめている。

叔母さんは座っていることもできなくて倒れていた。

近くにいとこが泣きながら座っていた。

いつもそろばん教室をしていた広いお部屋は、正面に納棺されている叔父さんへとどく真ん中以外は座布団が敷かれていた。

 

棺の中の叔父さんは眠っているように穏やかで、普段とまるで変わらなかった。

お顔以外はお花で満たされていてなにがどうなっているのかよくわからなかった。

なんでー!?と何度も絶叫した。ガクガクと震えがきてその場で動けず焼香もお参りもできなかった。

母が私の両肩をがっしりとつかんで外へ引きずりだした。

 

そのあとのことは詳しく覚えてない。

 

田舎の因習に一ミリも逆らわないように滞りなく式は終了したんだろう。

それは何年も継続されてきたんだろう。

 

そのあとの叔母さんやいとこたちの姿は見ていてとても辛いものだった。

いつこころから笑顔になることができるんだろうって思っていた。

病気がちだった祖母が、これじゃいかん、とあれこれ世話を焼きはじめメキメキ健康になった。

逆境に強い祖母と、

父は「お父さんだと思って」と、二人とも強いサポーターになった。

 

そんな祖母の死のとき、叔母さんは不死鳥のように蘇りお葬儀を取り計らってくれた。

血が血をささえたのである。

 

大黒柱を失っても母子は3人で頑張って生きてきた。

いまも。きっと。

 

 

 

そのころから

どうして人間って死ぬんやろ

死んだらどうなるんやろ、

 

どうしたら笑顔で死んで、みんなも笑顔でサヨナラできるんやろ、って

ぼんやりと考え始めてた。

 

 

部活で真っ黒になって苦悶していた中学時代。

まだ偏差値でしか未来をはかれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

セルフグリーフケア ①

 

伯父さんから聞いた祖父はまったく知らない人物だった。

幼くして両親を失い、さらに幼い妹は寺に預けられ

祖父はまだ体も少年だった時分から身を粉にして働いていたという。

お金になるような仕事は何でもやった、でも妹をに養えるほどにはならないため

事業をはじめることにしたという。

それが瓦屋だった。

食べていけるようになるまでの苦労は、それは筆舌につくりがたかったであろう

誰もきいたことはなかった。

妹を引き取り、女学校にいかせ、嫁がせ、自分も結婚し、4人の子供に恵まれた。

一代で築いた瓦屋は北陸ではそこそこ名前がしれるほどにまで大きくなった。

 

生来の苦労人だった祖父に胃がんが見つかり、母親の実家近くの病院に入院していた。

私は祖父にとって3番目の孫。しかも外孫。女児。かなりどうでも良くなっていくポジション。

帰省した時に母親と見舞いに行った。

 

じ「みか、わしはもうダメだよ」

み「じいちゃん、寿命だよ」

 

このやりとりに祖父も祖母ものけぞったとあとで聞かされた。

 

お見舞いに行ったのは覚えているけどこんな会話は記憶にない。

母親はその後に笑ってこんなこと言うなんてねえと軽く私をいさめたが

覚えがないのによくわからないままそうだっけとごまかしていた。

 

ほどなくして祖父は亡くなった。

本当に寿命だったんだ。

でも電話で訃報をうけとったは母はその場に泣き崩れていた。

私はかける言葉もどうしていいかもわからずに母をみていた。

自室に戻って勉強机に座って少し泣いた。

おじいちゃんありがとう、と言ったか言わなかったか、何かを言葉にした。

 

じいちゃんの葬式はそれはそれは派手で豪華でエンターテイメントだった。

見えなくなるくらい先まで壁より高い花輪が寺から路面電車まで続いており

町中の人やそれ以上の人がひっきりなしに弔問にやってきた。

祖母と、じいちゃんの長男であるおじさん(喪主?)は真っ白い着物。

帯も靴もカバンもすべて白装束での葬式。美しかった。

 

11人いた孫は、全力で再会を喜び寺中を走って遊んでいた。

私たちが制服でみんなで転がって笑ってじゃれあったことは、この日以外、後にも先にもなかった。

誰も注意する大人はなく、ただただまぶしい日差しが降り注いでいた。

 

初めて経験したお葬式は、とても楽しかった。

それはとても私には幸せなことで

そのあとのことにもずっと響いていくことだった。

 

 

hope

 

時計を確認したのはそのあとだったけれど午前3時。

 

どのくらいの時間夢の中で横たわっていたのかわからない。

 

腹部が拡大しており、白い地図を大きく広げたようになっていた。

上からお腹がみえるようになっていて誰かがまわりにいるような気配がある。

 

白い地図には、緑色した三角屋根の小屋がパッチワークのように描かれている。

ところどころ切れているような蛇行した下手くそな道のラインがあったり

まだ物の形を視覚でとらえられないような幼子が作った旗のようだった。

 

生暖かい少しおされるような手の感触はみぞおちを中心にしてあり

ゆったりと撫でられているようでもあり、変化させられているようにも感じた。

 

その始まりも終わりもよくわからない時間の中で

ああ、変わったんだな、ということが身をもって自覚されてきた。

体は間違いなく三次元にあり、

この次元に合わせた時間の法則にのっとるべきなのだろうが

そういうルール違反ももう認知されているかのように

今までだったら誰も信じられないような方法で、大きく変わったんだ、と

そういうふうな体感がわいてきた。

 

その感触が感覚にとどくと、思考は歓喜で満たされた。

そうだったのか、こういう変容を肉体で受け取ることに意味があったんだ、と。

 

なんの根拠もないが、深々と安心感につかるように幸せな思いがうちよせ

こういうことに今までの道のりが必要だったんだと納得がいった。

 

 

ほんの白昼夢

 

夢でもなく現実でもないような

リアリティだけが頭の片隅に

「それは私には真実」と告げている。

 

 

 

 

スイカズラ

ハニーサックルが日本に入ってきてスイカズラになった。

ジャポニカハニーサックル、とでも言おうか。

たびたび街中で目にするようになったのは育てやすく強いからだろう。

 

白い花は下から順番に咲き、やや細長い葉は部分的に貫生葉、バッチの選んだそれとは少し異なっているけれど

甘いジャスミン様の香りが闇夜に充満し、特定の蛾を誘う様子は

人目につかない逢瀬を彷彿させてしかたがない。

 

過去から現在に目を向けさせるけれど

過去のそれはそれは素晴らしかった栄光を知っているのはこの花の特権だろう。

 

存分に味わい尽くしてから戻ってきたらよい

その味わっている今も、どこでもない現在にいるのだから。

 

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阿蘇スイカズラも甘く美しく

そして刈られても地を這っていた

 

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南阿蘇、春のギャラリー

5月ってなんてきもちがいいんだろ

どんなお天気だってどの植物もキラキラ輝いている

名前を知らない子たちも、知ってる子も、みんながもりもりと育っている

 

種を突き破り、土や殻をかき分けて地表に出てくるときとも違うパワー

地上での新鮮な風になでられて、大あくびと共に背伸びする

この世のすべてが自由であるかのように

 

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これは柿の花。5秒に一個ぐらいのペースでぽろぽろ落ちてきていた。

初めてちゃんと柿、みたかも。

まだまだ柔らかい葉っぱも。

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有償ボランティアへ

阿蘇でのマッサージボランティア活動は、6月で一年を迎えます。

個人的に始めたことなので、個人的にブログで書いていくだけなのですが

関わってくださる方も増えてきてますので、できるだけ情報はオープンにしていきたいと。

(会計はだいぶ大どんぶり勘定でございますが)

 

当初からお世話になっている南阿蘇ケアサービスの副ホーム長、松尾弥生さんともお話ししました。

ずっと私どもの交通費や資材、滞在、体調、など全面的に気遣っていただいてきました。

マッサージにいらっしゃる方からも、いつもただでしてもらうのは申し訳ないと、お野菜や果物、お菓子やお茶、なにかと毎回なにかをいただいておりました。(いつもありがとうございました。。ごちそうさまでした!!)

これは、逆に申し訳ないなあ、とモヤモヤしておりました。

どんな形がお互いにもう少し自然に遠慮なくいられるかしら、と。

 

そこで、

6月からは1時間ワンコイン(500円)でどうでしょう

の提案。

 

人件費をのぞく、交通費、資材、生活費(っと!これは無理か!?)、などに充てられるようにしていこうと思います。(当面は仮設住宅を除く。定期的な訪問が不確かなので。)

もちろん厳しい局面はご相談していただくことは全く問題ないですし、そういうこともお話を聞いてきめてゆけたらいいかな、と思っています。

 

いただいているご寄付と合わせて、セラピストへ還元していく予定です。

ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

 

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5月 活動報告@南阿蘇

皐月

 

日本中に桜旋風が巻き起こった後のみどり

田んぼに張られた水に映るそらいろも、春の雰囲気をふんわりうつしている

あらわになっていた土が周りから芽吹いた緑にいたわられていく

彼らにはどこからが傷でどこからがかさぶたかなんてないのかも

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5月のマッサージ活動は、セラピスト4名で行うことができました。

長陽グランド仮設でも二日間訪問することができ

延べ50名が施術を受けることができました。(プラス、カウンセリング1名)。

震災から一年という節目を迎え、多くのご寄付を全国の方からいただきました。

そのなかから今回の訪問に関わるセラピストの交通費はすべて賄うことができました。

改めて、御礼申し上げます。ありがとうございました!

 

4名のセラピストを紹介をします。

埼玉からは塩見さん。

タイ古式マッサージとトクセンをひっさげてきてくださいました。

彼女は震災直後から熊本のあちこちでボランティア活動をなさってました。

なので、仮設入居の方ともお話が合い、体も心もほぐれるお時間を持てたと思います。

パワフルな施術と、現役看護師としての視点からのアドバイスも大好評でした。

機転が利いて、施術場所のセッティングや荷物の搬出入の工夫も素晴らしい。

頭が良くて手が早く、どれだけ塩見さんに助けられたかわかりません。

世界中を旅する彼女の良さがさらに発揮された数日間でした。

たくさんの方が元気になって、ほんとうにありがとうございました!

(長陽グランド仮設にて施術中。写真手前)

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鹿児島からは植村さん。

セラピストとしても、教師としても、長くアロマテラピーに関わってらっしゃる植村さん。

時間配分や見立て、多くの人に触れてきたからこその直感やその人に合った施術を繰り出すことが難なくできてしまいます。

揉まないトリートメントでも十分に得られる癒しを、全身で感じることができたのではないでしょうか。

もっとも、植村さんの施術を受けられた方はほとんどがすぐに眠りに落ち、起こされるまでの記憶がないということでしたが・・・。

5月以降もお時間を作って訪問してくださることを確約いただきました。

このたびはありがとうございました。そして、今後ともよろしくお願いいたします。
根っからの龍に愛され体質の彼女、梅雨時期に雨は連れてこないでくださいね!!!

(写真、右から2番目、くまもんの手の下)

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神奈川からは岩村さん。(上、写真左より1番目)

昨年8月から毎回、南阿蘇にきてくださっています。

彼女のオイルトリートメントに魅了された方々が、ご指名で施術を受けてらっしゃいます。

小さいけれど厚みのある温かい手はどんなひとの心にも触れることができるのでは。

優しい風貌からは想像もできない痛烈なリフレクソロジーも好評で「みなさん痛くないのかしら~?」と遠慮なく指圧しているとかいないとか、痛がる姿がいいのか。。。

タイ式マッサージ、オイルトリートメント、時には一緒にきてくれた子供たちの相手など、何をしてもきちんとお仕事してくださっていました。

いつもいつも、本当にありがとうございました。

岩村さんの参加は6月で一端終了します。

今後はイレギュラーでの参加、心からお待ちしています!

 

東京からは私、野越です。(上、写真右端)

ケアされる側もケアされよう!という思い付きだけで南阿蘇へ通い続けています。

ケアギヴァーの方々をメインに、と思いながらも、入所の方、仮設にお住まいの方、遠方から長期でボランティアに来ているかた、などなど。

結果的にだれでもほぐしにきてください~という活動になりました。

カウンセリングのみの方も時々ありますが、おしゃべりしながらのボディケアは私にとっても癒しと学びの時間です。

6月以降は不定期の訪問になりますが、細く長く皆さまと一緒にあるいてゆけたらいいなと思っています。