叔父について。
どうして、こうも書き進められない痛みがはしるんだろう。
それはとうに彼の痛みではないはずで
30年近くたっているにもかかわらず、彼を愛し続けている妻と子供たちの想いのほかに
なにがあるといえるんだろう。
何も知らない私が叔父さんについて書くことに
許可がいるとか要らないとかという話になるのだったら気持ちよく抹消してほしい。
何も知らないことが多くを傷つけていることはいっぱいみてきた。
一瞬でもそうであるならば、よろこんで削除しよう。
連絡がなくなって久しい大切な血筋の皆さま、叔父さんのことを書きます。
見逃してください。
叔父さんはめちゃめちゃかっこよくて、映画スターのようにスタイル抜群、大柄な体躯は野球選手のようだった。
叔母さんとの新婚旅行で着ていたアロハシャツがはにかむくらい眩しい素敵な紳士だった。
頭もよくて、お酒も強くて、銀行に勤めていて、ジョークも冴えてて
何よりも家族や社会に責任と倫理をつよくもった、非の打ちどころのないひとだった。
頼もしくて頼りがいがあって、何をさせても絵になる叔父さんだった。
訃報はいつも突然にやってくる。
叔父さんが亡くなったんだって、だからお悔やみに行こうと
中学校から帰ってきたときに涙ながらの母に言われ、何をいってるのか全く理解できなかった。
叔父さんね、昨夜はお客さんのお付き合いとお接待で遅くまでお酒を飲んでいたんだって、それで散会したあと、おじさん一人だけ寒い外で残されたんだって、そのあと誰も叔父さんをみてくれていなかったんだって、帰ってこれなかったんだって、・・・と母が要領を得ない話をするが耳に入ってこない。
姉と母と一緒に行ったんだろうか、まったく信じられなくて叔父さんの家に行った。
間口の広いガラスの引き戸だった玄関は開けっ放しで
近所の人があわただしく出入りしている。だれもが声をひそめている。
叔母さんは座っていることもできなくて倒れていた。
近くにいとこが泣きながら座っていた。
いつもそろばん教室をしていた広いお部屋は、正面に納棺されている叔父さんへとどく真ん中以外は座布団が敷かれていた。
棺の中の叔父さんは眠っているように穏やかで、普段とまるで変わらなかった。
お顔以外はお花で満たされていてなにがどうなっているのかよくわからなかった。
なんでー!?と何度も絶叫した。ガクガクと震えがきてその場で動けず焼香もお参りもできなかった。
母が私の両肩をがっしりとつかんで外へ引きずりだした。
そのあとのことは詳しく覚えてない。
田舎の因習に一ミリも逆らわないように滞りなく式は終了したんだろう。
それは何年も継続されてきたんだろう。
そのあとの叔母さんやいとこたちの姿は見ていてとても辛いものだった。
いつこころから笑顔になることができるんだろうって思っていた。
病気がちだった祖母が、これじゃいかん、とあれこれ世話を焼きはじめメキメキ健康になった。
逆境に強い祖母と、
父は「お父さんだと思って」と、二人とも強いサポーターになった。
そんな祖母の死のとき、叔母さんは不死鳥のように蘇りお葬儀を取り計らってくれた。
血が血をささえたのである。
大黒柱を失っても母子は3人で頑張って生きてきた。
いまも。きっと。
そのころから
どうして人間って死ぬんやろ
死んだらどうなるんやろ、
どうしたら笑顔で死んで、みんなも笑顔でサヨナラできるんやろ、って
ぼんやりと考え始めてた。
部活で真っ黒になって苦悶していた中学時代。
まだ偏差値でしか未来をはかれなかった。