弥生の早春、まだまだ寒波は居残ります。
毎朝表情を変える阿蘇山には心を打たれます。思わず合掌したくなる雲海。
このたびの滞在は4泊5日、延べ32名の施術をしました。
うち1名は動けないとのことでご自宅まで出張してきました。
日本において3月は年度末、ということにまつわる別れと出発準備の時期。
物事の切り替え、身辺の整理にも適した。
そういうお話もうかがえるかな、と思っていた。
皆様はそれぞれに岐路を自覚され、受け入れようとしてはほうりだしてみたり、抱きしめ味わってみたり、味わい尽くしそっと手放したり・・
それぞれの時期が、それぞれに訪れる、その自然な成り行きにそういうふうにできているんだと納得したり。
年末ころに行われた健康診断の結果を話してくださる方もいて
お体のことを知れて安堵したり、やっぱりとおもったり、いつものことですが体と心の密接な絡み合いの妙を美しく感じました。
来月、熊本地震から一年を迎えます。
春になったら考えようと思っていたことを、改めて考えていました。
昨年6月から始めたこのアロマのボランティアは、月単位でつないできたこと。
受け入れてくださる方、サポートしてくださる方があって続けてこれたことでした。
そして、変化を感じながら継続するという自分への挑戦もふくめ。
いつのころからか、ああ、みなさんの体が触れられることに慣れてきているな、と感じていました。
体の声、痛みや症状、意識の向け方、私たちから聞かれることで思いかえされていたこともあったかと。
完璧ではない、けれど、今の自分でどうしたら心地良く過ごせるか、仕事ができるか、人とつきあえるか、
問われるたびにふり返り体に気持ちを向ける、そんな時間をひと月おきにわずか1時間でも持つことは
予想を超える変化を皆さまの心身へ起こしていると感じました。
自画自賛ととらえられるかもしれませんが、私でなくてもだれでも起こせる変化です。
関わること、信頼するということ、改めて見つめなおし今後のことをぼんやり考えていました。
あるひとりの方からいただいた言葉をシェアさせてください。
マッサージに夏ころ一度おいでになり、しばらくお顔を見ることはありませんでした。
冬に入るころから毎月きてくださっていました。
勤務後のつかれたお体だったり、お休みできれいに髪を整えてこらえれたり、
彼女の朗らかなお話しぶりや、こちらへの気遣い、とても温かくお会いするのが楽しみでした。
彼女は同行のℱさんに話してくれました。
「たいていのボランティアの方は、一か月か二か月で帰ってしまわれる。」
「でもこうしてずっと来てくれるとは思っていなかった。」
「必ず来てくれるから楽しみになった。」
1995年、阪神大震災を経てこの年はボランティア元年になりました。
そこから学んだことを、どうやって継承し生かしていけばいいでしょう。
一人の人間は生きても80年。多くのことを学んではとりこぼし、また痛い目にあっては拾って伝えていく。
とうに人生の半分を折り返し、私が体現していくことは忘れないことだと腑に落ちました。
忘れないこと、目をそらさずに見つめ続ける、ただそれしかできなくても
思いが形や行動や、だれかに拾ってもらえるものになるかもしれないという希望を信じることが、いまここにいる手ごたえとしてある。
なぜなら、こうして拾ってもらえたことが還ってきたから。
関わり方に正解はなくて、一か月や二か月で十分なボランティアもたっくさんある。だらだらと通うことが良いともいえません。
「忘れられていない」ということは、どんな立場の人でもうれしいもの。
災害後に生じる置いていかれる感じ、は忘却と紙一重。
自分と同じ大きさでひとつの現象をとらえキープすることはとても難しいし、期待することでもない。
同じ災害にあったもの同士でも、同じ気持ちでいることは難しい。
自分が最後尾だと思う人がいても、伴走者がいたり、声援が飛んで来たらまだ走れたりする。
なので、今後は年単位で活動していくことを決めました。
不思議と今まで感じていた遠慮はなくなって、どんどん「help!!」と言えるようになりました。
熊本地震から一年を目前に、仕切り直しの決意表明と共に。
まだまだ、皆さま、お付き合いねがいます。
そして、温かいサポートを今後ともさらにさらに、よろしくお願いいたします。
花びらを散らしはじめ、結実に向けて動き始めている梅。
修復に着工し始めた熊本城。