together with global breathing

mabulの光翠、こころが動いたことを綴ります。 永遠に地球が平和でありますように。

セルフグリーフケア ①

 

伯父さんから聞いた祖父はまったく知らない人物だった。

幼くして両親を失い、さらに幼い妹は寺に預けられ

祖父はまだ体も少年だった時分から身を粉にして働いていたという。

お金になるような仕事は何でもやった、でも妹をに養えるほどにはならないため

事業をはじめることにしたという。

それが瓦屋だった。

食べていけるようになるまでの苦労は、それは筆舌につくりがたかったであろう

誰もきいたことはなかった。

妹を引き取り、女学校にいかせ、嫁がせ、自分も結婚し、4人の子供に恵まれた。

一代で築いた瓦屋は北陸ではそこそこ名前がしれるほどにまで大きくなった。

 

生来の苦労人だった祖父に胃がんが見つかり、母親の実家近くの病院に入院していた。

私は祖父にとって3番目の孫。しかも外孫。女児。かなりどうでも良くなっていくポジション。

帰省した時に母親と見舞いに行った。

 

じ「みか、わしはもうダメだよ」

み「じいちゃん、寿命だよ」

 

このやりとりに祖父も祖母ものけぞったとあとで聞かされた。

 

お見舞いに行ったのは覚えているけどこんな会話は記憶にない。

母親はその後に笑ってこんなこと言うなんてねえと軽く私をいさめたが

覚えがないのによくわからないままそうだっけとごまかしていた。

 

ほどなくして祖父は亡くなった。

本当に寿命だったんだ。

でも電話で訃報をうけとったは母はその場に泣き崩れていた。

私はかける言葉もどうしていいかもわからずに母をみていた。

自室に戻って勉強机に座って少し泣いた。

おじいちゃんありがとう、と言ったか言わなかったか、何かを言葉にした。

 

じいちゃんの葬式はそれはそれは派手で豪華でエンターテイメントだった。

見えなくなるくらい先まで壁より高い花輪が寺から路面電車まで続いており

町中の人やそれ以上の人がひっきりなしに弔問にやってきた。

祖母と、じいちゃんの長男であるおじさん(喪主?)は真っ白い着物。

帯も靴もカバンもすべて白装束での葬式。美しかった。

 

11人いた孫は、全力で再会を喜び寺中を走って遊んでいた。

私たちが制服でみんなで転がって笑ってじゃれあったことは、この日以外、後にも先にもなかった。

誰も注意する大人はなく、ただただまぶしい日差しが降り注いでいた。

 

初めて経験したお葬式は、とても楽しかった。

それはとても私には幸せなことで

そのあとのことにもずっと響いていくことだった。