そのお店の最後のイベントに参加す機会は初めてじゃなかった。
昨年の6月に解散するというシェアハウスで出店したんだっけ、
と書いてて思いだした。
つくづく自分はエンディングのひと。
お見送りのその時に、こころから灯りをともしたい
それしかないんだなあって。
そこだけにコミットしている間は本当にいきいきと「生きていた」。
夢を叶えたらもはや夢じゃない、という言い方よりも
夢を叶えるのが願いではなく
その夢を通してどこを見ていたかがわかったとき
また新しく夢を描くことができるんだ、ってほうがすき。
その時の気持ち・・・腑に落ちたような安堵と
果てしない道程のどこにいるのかもわからない不安定さ
なんという混沌
複雑さの中に確たる芯があって
ここが「わたし」で生まれてきたよりどころなんだと。
そこをどうやってこの世界で表現していくか
才に恵まれ(望んで?)受肉したからには取り組むことに異存はなかろう。
方法は無限にあって
幸い恵まれた環境にあり
理解してくれる友人らに囲まれ
ありがたいことにもう少し時間もありそうだ
どうやっていこうかな
ここから生み出していく喜び
本筋に迷いがないということが最大のギフト
なぜか「やり残しありますよ~」ということも呼び覚まされる
パラレルに存在している世界で100%完璧な人生だけのわけがないのだ
幾重にも繰り返され、
でも越えてこれなかったことにも
向き合えるような今を選んできた
深い心の奥に予感もあり予兆もありいよいよ、いまなのね
もちろん向き合うよ
こわいよ
でも逃げないよ
もう決して持ちこさないことに決めたんだから
私がわたしを治し、救うんだ
この震えはこわいだけじゃない
叶った未来から流れてくる感動
なんてすばらしい
そこを体験できるなんて、こんなうれしいことはない
私がわたしの見送りに灯りをともすのだ