セラピスト1名の訪問で、24名施術。
お越しくださったみなさま、予約調整をしてくださったみなさま、ありがとうございました。
全国的な酷暑の例にもれず、避暑地として賑わう南阿蘇も例年以上の猛暑に。
夕立は少ないと涼しくなるどころかすぐに蒸発しムッとするほど暑くなる。
ごろごろ雷は毎日だけれど、雨が落ちてこないねえって。蒸発しちゃったかな、この熱で。
しかし皆さまの心には、西日本豪雨に見舞われた方々への思いがありました。
災害発生から3週間たたないくらい、今頃はこんな状況ではないだろうか。
わたしら自宅の一階をすべて土砂で流され、手のつけようがなく手を貸してくれる人ももおらんかった、80代の夫と二人だけで道を開けたんだ。
そんなとき、みなさんもつらかろう、とおっしゃる。
そのこころの底には、ご自身のまだ生々しい体験が広がっています。
災害を耳にし目にすることで、昨日のことのようにあのときはリフレインしています。
語り直すことで、なにかを確認するように。
あの時とは違う、今はこうやって一緒に話せて笑える、
ご自身の変化をしっかりと自覚なさっている言葉に力がこもります。
どこにいて、どんな状況でも、相手を気遣うこころがある。
いま、ここにいて、ここまでこれたんだ、という大地に根差した感覚を
災害は根こそぎ奪うことはできません。
わたしたちのようにきっとみなさんも、一緒に笑顔になれるときがくる、
この自己への信頼感をもって他者を労わるこころこそ、最強の支援だと感じています。
南阿蘇から西日本の皆さまへ。
Love letter from Minamiaso !
道の駅、あそぼうの郷には水をたたえた場所があり、このように有効活用している休日。
飛び込みたくなるほど良いお天気でした。
東京へ帰る日のあさ、ゆらゆらと地震があった。
そのことをバスの運転手さんとお話しながら、この数年世界中でおこっているイレギュラーな自然災害について考えた。
豪雨や落雷・竜巻、山火事など、気象の災害も普段めったにおこらないところで発生している。
それも過去に例のない規模と威力を持ち、私たちの想像を凌駕する被害をもたらしている。
北半球における全体的な猛暑や気温上昇も災害のカテゴリーにいれてもしかるべきだろう。
地震の起こった土地には言い伝えや石碑があったり、継承が成されていえば現代の知恵と工夫をもってして、予防や対処を考えておくことはできるかもしれない。
しかし、この地に住まうあいだ、完全に自然と切り離して生きていくことはできない。
熊本震災の直後、よくよく地元の方がおっしゃった言葉。
いままで恵みを一杯もらってきたたい。
だからいいことばかりではなかよ。
潔い謙虚さをもって自然への畏怖と感謝を何度も口にされていた。
災害が多い少ないからといって自然を評価するのは愚かしいことです。
南阿蘇だって台風や噴火の影響は少なからず受けている地域。
季節にあわせて文化も叡智も発展させてきました。
あらためて自然と共にあゆむということを、人生をかけて考えさせられていると感じます。
自分だけのいっかいこっきりの人生だけではなく、
子や孫、未来に生まれてきたいと願ういのちにむけて、何ができるのかを問われる思いです。
いま目の前で、大切なものをすべて失ったら・・
想像に限界があるとしても、思いめぐらしてみたら
とても悲しい気持ちになって
何のために生きてきたんだろうって思って
誰かに話したくなる
誰かと会って、こんなことがあったのよ、と静かに話ができたらば
うしなったものは戻ってこなくても、
失いそうになった自分を無くすことはないかもしれない。
話をきいてくれる相手がいるから、自分がそこにいられるような気がする。
誰かと繋がっていてください。
何十人もいなくていい、挨拶をするだけの人でもいい、
そのときに、誰かの顔を思いだせるような人がいてくれたら。