together with global breathing

こころが動いたことを綴ります。永遠に地球が平和でありますように。

イベントとお出かけと

今年はヒーリングマーケットへ6回出展予定です。

そのうちの二回が終了しました。

2月、浅草橋。3月、大宮。

 

足をお運びくださった皆さま、初めてお会いできた方、

毎年必ず来てくれる再会に胸アツの方々、

主催の知叡さん、幸さん、出展者の皆さま、

そして遊びに・お手伝いに・顔を見せに来てくださった友人皆さま、

ありがとうございました。

 

 

浅草橋でブースがお隣になったマサコさんには

いろいろとお気遣いいただきお世話になりました。

寺西 真早子(まさこ) lit.link(リットリンク)


お仲間さま、お近くの方へ私の営業までしていただきありがとうございました。

そのうえに、大宮でもご一緒できたこと、

辰年からの贈り物のようでご縁を感じておりました。

人のために自然と動かれていらっしゃるのですが、

マサコさんの健康と繁栄を心から希望します。

www.intheforest2023.com

私が願わなくともめちゃ強い龍がおるような気もしてますが、

微力ながら応援させてください。

 

 

 

浅草橋の回前後ではイベント以外のことで

いろいろな案件を頂いたおかげで嬉しかったのですが、

全く頭が回らず記憶も薄く

もったいない時間を過ごしてしまったと反省なのです。

 

楽しかったな、という思いだけはあるのですが

関わってくださった皆さま申し訳ありません。

 

 

この二回で共通し、初めての試みとして

タハタで収穫したお米とホーリーバジルの種を出展してみました。

 

友人のキャシャーン

www.facebook.com

からもらった言葉は「生産者の販売っていいよね」ということ。

そうだった!

それだ!!

共に過ごした一年をここで話せるということに気が付かされました。

ありがとう。やっぱり伝え方のプロ…。

 

そして、強力な生産者であり助っ人のけ~こさんがいらっしゃり

可愛らしい笑顔とふんわりしたムードで石売りのオジをゲット!

どちらのイベントもお米完売パチパチパチを迎えました。

 

友情購入もありましたが

次回の大阪HMでも挑戦してみたいと思います。

 

 

ホーリーバジルは、知っている方にはあまりお目にかかれず

(まほさん、きゅんきら?のヒーラーさんぐらい。。

原産国の方ではないか?という人にもいぶかしがられ・・)

ピザに乗ってるバジルではなく、、という説明を繰り返すものの

イベントが植物関係ではないというのも理由でしょう、

肩透かしな感じでした。

 

大宮では写真つきの育て方チラシを作ってみて、

可愛らしいお花を見てもらいました。

お香を求めてくださった方が

ぜひ育ててみたいーと言ってくださって嬉しかったです。

 

施術中だと、興味を持って見ている方にお話しできなかったり、

残念な場面に何度も合いました。

(なぜか施術していると人が来るの・・。)

け~こさんや友人がいてくださると、

凄く助けられるし、お客様のお話も聴けるんやけどねーと思ったり。

 

出展のありかた、物販スキルも磨いてゆかねばな、という課題が露呈しました。

死ぬまで学びですね。

 

 

 

大宮の初日は強風のもと雨が横殴り。

タハタの祈年祭くらい暴風だったのではないだろうか。

合羽も傘も意味をなさない荒天のもと、

湿度1000%でワイワイ始まったのでした。

 

 

その時の、印象的なセッションをひとつ。

 

お身体のことをうかがって始めたのだが

どうにも動かない鎧を身につけているようで。

 

イベントで結果を出すということは

なかなかのプレッシャーではあるが

こうも、どうにもならん(とこちらは思うが向こうは良かった感)

という感覚のときは

物理的な肉体より前のことに触れていることがある。

 

 

施術が終わった後は、少し感触をお伝えする時間を持つけれど

そのときから全身が震えて止まらなくなってしまった。

蒸しているだけで寒さではなく、たぶん、霊的な干渉。

 

医療現場からいろいろとお勉強したり

お師匠に教えを授かってきたけれど

こういう時はどう対処したらいいのかわからない。

 

 

今までも何度もあったけれど、

力技で誤魔化してきたけど、どうしようもない今回。

頭は冷静でも身体がとまらない。

お客様には持ちうるすべてを差し出してお伝えするしかない。

 

と、その時に友人の娘ちゃんが抱き着いてくれた。

はっと何かが変わって

みるみる身体が自分に還ってきた。

 

子どもはまだ神の内。

助けられたのでした。

 

かやちゃん、本当にありがとう。

 

 

繰り返し起こることには注意を払うべし。

あまり型にはまるのは好きではないけど、

型の守りを自由に操れないと

自分以外にも影響してしまうことがある。

そういう可能性は

できるだけ少なくしていたいと思うのです。

 

 

そういうえば、

春分のカードやエッセンスを選んでいなかったっけ。

 

今日はエープリルフールだけど

まっさらなこころで向き合いましょう。

 

 

この二回のイベントとも

何も考えずに楽しんだようです。

 

とくに大宮では

「しあわせだわ~」とか友人に漏らしてしまうほど

なんだか満ち満ちた思いで駆け抜けた気がします。

 

たくさんの人にかけてもらえた言葉や気遣いを

丸ごと平らげて英気を養いながら、

施術が終わったお客様の

スッキリと見開かれた瞳の輝きに支えられながら、

あらためて

自分は人と人の間にあるのだと感じるのでした。

 

 

二人はひとつがふたつ。

この関係性の中にあるもの、また見つけに歩き出しましょう。

 

 

雪の重みで影が生まれる背後は

春の予感でいっぱいなのです。

 

節分草は、一重と八重がありました。

八重の方が珍しいけれど、一重の方が観察しやすい。

絶滅危惧Ⅱ類のため保護して養生中。

日本原種。

 

親指の爪ぐらいの小さく可憐なお花。

花言葉はそのままの、気品、光輝、微笑み、

そして「人間嫌い」だそうです。

 

節分のころに花開くので

豆をぶつけられる鬼の気持ちをひろったとの説。

嫌われないように手厚く守り育ってほしいですね。

 

座禅草は小さな手の平サイズ。

紫の衣を纏い

達磨大師が座禅しているようです。

 

水芭蕉に先んじて雪を溶かしながら咲き始めていました。

 

実際、肉穂花序が雌のときに発熱をするそうです。

おしべが先に熟したのち、めしべが熱を発して熟す。

氷点下まで冷えていても20度ぐらいに保つ力があり

その時は生臭く、ハエをおびき寄せると言われています。

 

子孫を残すときに温める性質というのは

植物も同じなのかもしれません。

 

花言葉は、沈黙の愛、ひっそりと待つ、だそうです。

 

 

 

もうすぐ咲きそうなこぶしをなでながら

ふわふわの毛にもぬくもりを感じるのでした。

 

ゆっくりと、早春です。

 

 

 

氷川神社からスーパーアリーナへ伸びる参道は

欅の巨樹がひしめいています。

 

淡い緑の新芽には、梢の春。

 

 

 

能登地震、二か月

図らずも節目節目に訪れている。

 

避難者さん方々、あまり詳細を話せないため

感じたこと、思ったこと、そんなことしか残せないけど

自分記録なのでよし、としよう。

 

 

月一で4日ぐらいしか時間が取れないけれど、

自分が健康に余裕と緊張感をもって笑顔で行けるとしたらこのぐらいでしょうか。

身の丈でまいりましょう。

 

今回は違うところへ入ることになった。

輪島も広いね。

金沢からの往復をまた素敵すぎるナースに頼ることになり

お話を伺い、温かいお人柄を感じ頼もしくじわっと嬉しく。

 

のと里山街道はどんどん整備されていて

少々の段差は残っても、車で安全走行できる距離が伸びてきた。

それに伴い、きっと多くの方が行き来できるようになるだろう。

 

道路工事をしてくださっているかた、

検問以外でも要所要所に警察車両。

行きかう自衛隊の車には手を合わせ

みんなでこころも物資も時間も技術も傾けていることを実感する。

 

道路がぺっこり凹んだり流れていったあとに

ガードレールと支柱だけが宙ぶらりんで浮いていたり

巨石や土砂が土嚢でせき止められ

そのわきに道路を拡張していたり

見たことない光景の横に

即席とは思えないしっかりとした道があった。

ありがとうございます。

 

 

今朝は4時起きで準備をし、新幹線経由で運ばれてきた。

気合充分、着いたさきで聞いたのは夜勤だよ、ということ。

 

現役バリバリなら承知!と仮眠に入るのだろうけど

小市民の私は、どんな人がどんな風にお暮しなのか名前も伺わず

夜中にコンバンハというのはあまりに失礼ではないか・・・

の思いで中途半端に日勤を経て夜に入った。

 

日勤には滋賀からボラさんがお一人来られており

めちゃめちゃ綺麗な雰囲気、オーラ?をまとった方で

すっかり皆さまと打ち解けてらしたので何だか心強く感じた。

(夜はいらっしゃらないけど)

 

施設の責任を預かっている方(以下Yさん)も

ここは生活の場です、自由にされている、見守ってほしい、

とはっきり仰られ

介入によるADLの低下や依存は避けたいということを理解。

かつ、

安全第一で「待つ」ことをテーマに授けていただいた感じがした。

(急遽一人夜勤になったけど、Yさんのフォローで助けられ)

 

 

災害から二か月というのは

おぼろげすぎる先の見通しが見えてきて

現場全体、集落全体、家族単位で

なんとなくこういう方向に舵をきろうというか

非日常の夢から覚めはじめる頃なのでしょう。

 

避難されている方々に生じる葛藤というのは健全な反応。

カッと来ても、一時的に認知が後退しても、

ぜんぜん普通なんですよ。たぶん。

 

被災してもサポートする側という方々に

どっと疲労や燃え尽きる感情が起こることも

それは皆さまが健康であるからなのです。

 

自分らしからぬ炎に

絡め取られることは戸惑いや恥を産むかもしれませんが

どうかどうか、そのままそのままで。

 

あちこちでポッと立ち上がるホットスポット

私たちが人として関わっている証拠。

きっとこの熱量は未来からのいざない。

 

全てが初めましての場に戸惑いと希望と

いとなみ、というものを感じながら朝を迎えたのでした。

 

業務としては医療からまるで遠く

フロア清掃、傾聴、トイレ掃除と排泄見守り・一部介入、更衣、配膳、など

誰でもできるようなことばかりで

つくづく専門性を全て失っていることを教えられる時間でした。

 

とはいえ寄る歳には勝てず

5Gぐらい重力が増した体を引きずってトレーラーハウスで眠りこけるのです。

 

ああ、前回「夜勤が好き」なんてのたまったゆえに

神様だか派遣先だかどなたかの潜在意識に潜り込み

自らにかつてない勤務を授けることとなりました。

 

 

三夜連続の夜勤というのは、

明けの翌日の夜から出勤ではなく

あけたその日の夜から始まりました。

 

耳を疑う余地もなく

それほど人手がたりないんだわ・・という理解で腹をくくり

とにかく皆さまの安全確保と

快適な睡眠をもたらすために

ふわりふわりと夜通し居ることに努めました。

 

二夜目は若い衆が一緒ということで、

仮眠もしっかり取れる二人体制。

日中に転落?とおぼしき「ベッドサイドに座っていた」事例の方に注視しつつ

闇が深まるにつれ

らんらんと眼が冴えてくる方々と

ストーブを囲みながらかみ合わない会話を楽しむのでした。

 

夜明け前が特に冷え込み

暴風と雷に

霙が混じる朝というのは

よこしまなものをすべて払ってくれる儀式のようで

 

わずらうものを手放せる心に届けとばかりに

ごうごうと私たちの仮の住まいを跨いでいくのでした。

 

 

ナチュラルハイな心地に

新しく来られたボラさんと寝所でお喋り弾み

出あう方々皆さまに備わっている神聖に励まされるのでした。

 

通電している地域であっても

コンテナハウスなど電気が来てないところもあって

そこに本部からケーブルでコンセントを持ってきてくれた若者。

外よりも極寒だったお部屋にエアコンを稼働させてくれました。

 

温かいってすごい。

顔のすみずみにまで血が巡る。

段ボールベッドと薄いかけもの、借り物の寝袋でも

寒さで目が覚める(生存本能か?)状態では休めなかった。

ありがとうしかないです。

ありがとう。

 

そして気を失うように眠りに突き落とされ

気が付けば夜。

のろのろと半分溶けた体で出勤するのでした。

 

 

三日目の宴は

ちょっぴりお通夜のようでした。

 

今夜も一人夜勤かーい、という私の絶望のかけらと

今夜でボラが最後なんだな、という

神寂しさをもつ御方と

これからもまだ毎日が同じように繰り返されるという方と

なんとも交じり合えない空気感がないまぜになり

かつてない関係性と思いの渦に

どのように箸を運び食を共にしたらよいのかわからないまま

カオスは濃厚に展開されていったのでした。

 

日中に、三度目の部屋や模様替えが行われ

R90メンバーはどこが家やら部屋やら寝床やら忘れてしまい

「私はなぜここにいるのでしょう・・」という深遠な問いも。

 

消灯が20時前というのはある意味健康的でもあるが

混乱したパイセンはふらふらとダイニングをさ迷うやら

歩行訓練らや出ないけどトイレやら

変化に次ぐ変化をどうにか消化しようと必死でした。

 

かつ日勤を終えたボラが集まって

ひそひそとでもゆんたくをしていたら

それは色々と動くもの気になることも生じましょう。

 

そうそうにお引き取り頂き眠りの環境整備。

しかし巡る思考は中々収まらず

日勤の男子は23時まで、Yさんは2時まで、

夜勤フォローに残ってくれたのでした。

 

その間に畳の上りに綺麗なお布団を準備頂き

電気も消してくださり

重力からしばし解放される時間を頂けたのでした。

 

起きだしてみても

ほぼ必要な業務を終えていて下さり

夜明けまえから目覚めてこられる方々へ集中できたのでした。

 

 

かつてない勤務ではあったけれど

たくさんの方々に支えられてしまうラッキー。

ボラにはいっても助けられているというのはこれいかに。

 

大音響の雷鳴をこえやってきた眩しい朝陽に目がくらみつつも

今回はトークセンがお一人も施術できなかったけれども

こういう経験が命を伸ばしてくれているように思うのでした。

 

 

今回も、たくさんたくさんお世話になりました。

ありがとうございました。

 

 

 

 

今回見守らせていただいた方々は

本来はお一人かご家族でお暮しになっていた人ばかり。

 

片方の施設では

点滴や食事介助や

床に段ボールベッドやエアマットで横にならざるを得ないADLの方が集い

入院5秒前ぐらいのハラハラでお過ごしであった。

 

私が夜を過ごしたこことは機能的に分け

なんとか自力歩行ができる、移乗は軽介助、食事は自力でとれるという

いわゆる高齢者避難所の様相であった。

 

そういう方々にも

いろいろな人生があり

なかなかその先の行き場所に待ったがかかるのか

ここでしばらく逡巡する、を

ご一緒したような時間でした。

 

 

夜が人の影を引っ張り出すように

奥底に感じていても見ないようにしてきた感情を

素直に出せるときなのかもしれません。

 

 

餅ふたつぅ、お鍋にかけてあっからぁ

見にいかんならんろ

 

あの車(時に土地、時に墓、)は自分のやけど

訳合ってえ、交渉しなくてはならんからあ、(人を)待っとんがよ

じゃ、みにいこっか(時に電話しよっか)

 

ええ、ここ、あたしの布団じゃないがけ?
(と言って、仮眠布団にふかふかと埋まっていた方…可愛すぎ)

 

ここどこけ…?なんで私ここにおんが?

地震…?へえ、なん、しらなんだ…

 

 

どれも懐かしい方言で胸を締め付ける。

 

生き様は死にざま。

 

こうやって生きてきたことをを整えていくのでしょうか。

 

 

だれもが行く道。

大先輩の皆さまのように

丈夫な身体を持ち、辛抱強く、誇り高く、おちゃめで愛されるよう

歳を重ねていきたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう少しおちついたら

宇宙科学博物館に行ってみたいな。

本物の宇宙船がある宇宙科学博物館|コスモアイル羽咋

 

 

 

 

能登地震、一か月

1月末、ようやく足(車)と避難所とのマッチングが合い

輪島でのボランティアに行くことができた。ちょこっとだけ。

 

自分のための備忘録。

 

 

*壊れた建物などの写真が多いため、気分が乗らない方は読まないでください*

 

 



 

何よりもまず、元旦の能登地震によって命を落とされた方、

避難生活に関連しお亡くなりになられた方、

心からのご冥福をお祈りいたします。

 

地震によって家族や家や、船や車、育てていた作物と田畑、

あらゆる思い出の詰まった全てが失われた方へ、

慎んで心からお悔やみ申し上げます。

 

願わくば、今を共に生きていければと思っています。

 

 

 

 

前入りした金沢。

駅前があまりに大都会で驚き。何でもある。

外国の人も、観光の人も、多くの人が行き交っていた。

鳥居のモニュメントがカッコいい。

 

用意したらいいかな、と思うものを買いだす。

食料と水は頂けるとの情報で最小限の荷物にまとめた。

 

曇天が重苦しい。

4年ぶりの被災地ボランティアで緊張していた。

歩こう。

 

 

何も考えず、高校生の頃に行っただけの兼六園を目指した。

お洒落をした年配の奥様お二人と信号待ち。

同じ県でライフラインが途絶えている場があるとは思えない。

 

二人の会話が漏れ聞こえ、

ご親戚や友人が金沢の二時避難所へ移動したこと等語られていた。

こころを寄せつつも、変わらない日常があるという世界線の妙。

 

 

雪が残る金沢城公園、兼六園、どちらも美しかった。

 

 

日本語以外の声が多く聞こえる。

ほとんどすべての人が

たくさんの写真を撮っていた。

 

 

雪吊りの藁縄が、冬支度の樹木にしっとり寄り添い

厳冬期の風景をさらに調和させていた。

落ち着く。深呼吸と鼻歌。

 

 

庭園内を流れる小川に

シジュウカラなど多種類の野鳥が水浴びに来ていた。

私は樹木…と動かずに待っていたら

手が届きそうなところで楽しそうにさえずり沐浴。

 

和むひととき。

 

その中で、青木のやぶから鈍い色の鳥が川の小石に飛び降りた。

警戒心が強い鴬が無防備に水を飲んでいた。

広い庭園だからこそ、のびのびと過ごしているのだろうか。

 

初めて鴬色のウグイスを見て

思ったよりも小さくて地味で、

あの美しい歌声の、ほんの触りだけ聞かせてくれた悦び。

 

春の兆しは予期せぬ時に訪れてくれるもの。

ありがとうね。

可愛かった。

 

 

梅園、桜、など季節を楽しめるよう造園されている。

素晴らしい配置にしみじみと日本を感じ。

 

 

蝋梅だけがいち早く開花。

えも言われぬ甘ったるい、和菓子を煮詰めたような

濃厚な香りを花の周りだけ漂わせていた。

 

梅の色と、甘さに酸がある

眼が覚めるような様相にはっと惹きつけられた。

 

 

入園料は320円。

ぜひ一度は訪れてほしい庭園です。

 

 

 

 

 

ホテルは前日に予約。

段ボールが摘まれたエントランス。

物資の移送中継点にもなっていた。

若い受付嬢は忙しそうで申し訳ない。

領収書は出ないとそっけなく。

冷たい白熱灯のお部屋で早々に休むことにした。

 

 

8時にレンタカー会社で落ち合い、

初めましてのお互いで乗り合わせ3人。

大きな荷物をぎゅうぎゅうに詰め込んで出発。

 

 

お一人のナースは

大規模な施設にテントを張った場所での経験があった。

その際は、あらゆる感染症の発症から隔離、怪我、転倒、迷子、諍い、などあらゆることに対処なさったと。

 

かなり疲労したと仰っていたため、

今回の配置先が少しでも穏やかであってほしいと願う。

(帰りのピックアップで聞いたお話しでは、非常に良い環境とメンバーに恵まれたとのお話。彼女の雰囲気が穏やかであったことが事実を物語っていた。良かった。その際、看護協会を通し災害ボランティアに入ると、ザックやウエストポーチが支給されるということを知った。慣れないことで、そういうサポートがあるのは助かるだろうね。)

 

 

別の配属先で彼女を下ろし、ドライバーと輪島へ向かった。

 

 

志賀原発の真横を通り抜け、

通れない道を迂回させられ予定時刻より少し遅れて到着した。

 

 

輪島朝市にある輪島塗の事業所12社は全焼。

工房も何もかも無くなった。

世界における損失は計り知れない。

 

 

 

 

 

初めましてなので簡単なオリエンテーションを受ける。

避難されている方々は

日常生活に少しお手伝いがいる、という感じを受けた。

 

全面的に医療が必要な方は、もう適切な場に出たそうで、

ここから1.5次、2次避難所にどう移行するか、というフェーズだった。

 

それと同時に

地域の医療が少しづつ戻り新しい流れも生まれ

この地で生きていくなら繋がろう、という方向性が見えた。

 

それは、

避難されている方と同じように

ここに住まっている医療者の方々も地震にあって、

自分の家や家族のことも抱えながら

地域の人を巡回し始めたということであり、

皆で相談しながらここでの生活を

少しでも心地よくしてゆこう、というポイントでもあった。

 

 

午後は日勤という扱い?でケアに入らせていただいた。

トイレの介助、お話、食事の準備、など。

 

段ボールベッドと床頭台ひとつ分だけの自分スペースで

皆さまは粛々と感情をあらわにせず過ごされていた。

 

一か月、ひょいとすぐ覗けそうな寝床で

動ける家族は日中家の片づけや猫の餌やりに行って、

戻ってきてフルオープンな環境で

日常を編んでいた皆さまの強さ、

そうせざるを得なかった、受け入れてきた力を受け取った。

 

と、同時に

見通しが持てるかどうか、ということは

日々を紡いでいくには必要な条件でもあると感じた。

 

 

この建物の真ん中にある街灯は

夜になって、ほんのりと灯っていた。

斜めになっても電気が通っていて健気だった。

 

あちこちで献花され

手を合わせずにはいられなかった。

 

消防の入らなかった火事。

その威力はこの世の燃えるものすべてが灰に帰す熱さで

いまも焦げた臭いを放ち

炎の残像を刻んでいた。

 

 

 

 

二日目も日勤のお勤めに入った。

主たるサポート団体のメンバーが入れ代わるタイミングと、

お偉いさん方々の視察、メディアの取材、

訪問医療が何度も入ったり、感染隔離のため部屋移動、

症状悪化のため転院、

慣れない私たちも加わったりし、

カオスだった。

 

ここに住まわれて、

幾度となく繰り返されてきた光景であろう。

皆さまはそれぞれに

深くかかわらず、しかし周りへの観察を怠らず、

こころをこれ以上揺さぶられないようになさっているように受け止めた。

 

余震がまだまだ続いている中で

安全なフィールドを保ち続けるのは

それはそれでいつまでも非常時なのではないかと案じた。

 

 

90歳というお店を経営されていた方は、

昨日入浴に連れ出してもらい、

その時に初めて町がどうなっているかを認識し、驚いたと言う。

 

元旦は大揺れの中なんとか外に這い出たが

腰が抜けたか立ち上がれなかった。

みなが避難所に向け逃げていくなか、声をかけても振り向いてもらえず。

もうだめだ…と、あきらめたときに、ある男性が来て背負って逃げてくれたと。

 

命からがらであったが、その後もあまりに絶望的な状況と余震で

もう生きていたくないと思った。

しかし、こうして若い人が支援に来てくれて

それだけで希望が持て、もうちょっと頑張らないとと思った、と。

 

この方から見ればほぼすべての人は若い人だが

来るだけでこんなお話を聞かせていただき

切なくて胸が熱くなるのを感じた。

 

お店を再建するのに30年かかると言われても、

生きる希望をどこに見出すかは、それぞれの生きざまに在るのかな。

 

 

2月1日16時に全員で黙祷した。

自然と頭を垂れ、手を合わせていた。

 

 

 

 

三日目は夜勤入り。

朝は普通に起きて、夜勤者さんから緩やかに業務を引き継ぎ少しケア介入。

避難者さまと交流できるのが嬉しい。

 

こちらのことを理解なさって、長話にはならず

挨拶をかわしつつも、微妙な距離をとりながら

心を開いていきたい思いを交換した。

と思われる。

 

夜勤明けの方と、チームリーダー、サブリーダー、

4名をトークセンで施術させていただいた。

 

医療から離れ11年、ぶりに夜勤に入る危うさをごまかすために。

もちろんそれだけではなく、お疲れを取ってほしかった。

 

木槌を叩いていると落ち着く。

気が整ってくるのもわかる。お互いに。

 

数時間ホテルで仮眠させていただき、夕方から仕事に入った。

 

皆さまの顔や、ケアの度合いも何となくわかっていたとはいえ

あたふたと過ごしつつも、ゆっくりと夜は更けていった。

 

 

車いすでトイレ介助をしていたら泣かれた。

「わたしだけが皆様にご迷惑をかけている」

そんな風に感じていたなんて想像だにしなかった。

 

動けなくなったり、認知が鈍ったり、

一人で暮らしにくい方はとっくに別の場所で過ごされており、

ここでほかの方と比べていたのだと思うと胸が痛んだ。

 

良い言葉をかけられなかったけれど

おつらい気持ちをしっかり預かって

その後は静かに就寝なさった。

 

 

交代で仮眠に入ったり、簡単な申し送りがあったり、巡視したり。

記録こそないけれど

ああ、こういう時間だったと思い出していた。

 

 

緩和にいたころも夜しか話せない人がいた。

日中はケアや処置や説明など、業務で慌ただしく

気持ちだけにたっぷり時間を割くことができないときがあった。

 

一般病棟よりも手厚い人員配置であっても、

今ここ、このとき、というタイミングが来るのは

勤務交代のときとか、夜とか、

医療者にも余裕がある時だったように思う。

だからこそ、もっとゆったりとお仕事ができればいいのにと思っていた。

 

 

夜勤が好きだったな。

ここで今一度思い出すことができてよかった。

 

 

 

朝が来て、いろいろとあった夜を見送り

早く上がれ上がれといわれ、本部でご飯を頂いた。

 

元気になったのでまた4名トークセンをさせていただいた。

避難者さんに施術することはできなかったけれど、

皆さんに良い影響が行くように願った。

 

依頼されたことは看護師としてのお勤めで、

たぶん、不完全ながらも終えることができた。

と思う。思いたい。

 

 

セラピストは避難所に必要がないかもしれないけど、

ここで、このひとに、何がおこっているのか、

そこで何ができるのか、ということを真剣に考えるというところで

決して不要な人はいないのではないか、ともう思うのだった。

 

 

ともに夜勤明けを迎えた方と、同じ団体のメンバーと、

近所の酒屋さんへ行った。

 

能登にある酒蔵11社のうち全壊が5社、半壊・一部損壊が6社。

この冬に仕込むことは不可能ということ。

 

酒屋さんに残っているお酒を求めることにした。

これも支援の一つだよ、と言われなるほどと。

 

店舗も被害を受けていたけど

ボランティアや支援で入っている人が買いに来るため

酒蔵に余っているお酒を取り寄せ販売していた。

 

おかげでレアな逸品を手にすることができ

酒屋の社長さんには何度もお礼を言われたが

こちらこそ貴重なものを頂けて嬉しかった。

 

生き残った子たちが、出て行って喜んでもらう、

それはきっと嬉しいだろうなと思った。

 

 

 

 

夜勤のあとは何倍にも重力を感じるのだけど、

ある人をトクセンで施術した時に

あらゆる緊張や不安や疲れが吹っ飛んでしまった。

 

 

純粋に力になりたいという思いで

仕事を辞めてここまで飛んできて

100%以上の力を発揮しお一人お一人に注力していたひと。

 

能登が大好きでいてもたってもいられなかった熱意ゆえ

チームでぶつかったこともあっただろうが

ここにいる人のために何ができるか、という気持ちと

地震の前から何度も訪れた大好きなこの地への愛情が原動力。

 

この人が精魂尽き果てるほどのお働きを見せ

(ボランティア活動だけでない問題への介入もあり)

充実をこえ疲れ切っていた。

 

何も考えずにトークセン受けましょう!とお誘いし施術しはじめたが

なかなか流れず入らない。

けれど動いているものがある。

 

集中し、慎重に、丁寧に、

肋間の一つ一つからその奥に向け呼び掛けた。

思いのほか痛いということで、小刻みにたたくしかできない。

 

細くて華奢な体のメッセージを伝えつつ

意識と最上のアコードを生み出すべく寄り添った。

 

小一時間の施術の後、

気を込めてホールドした。

ここにご縁のある方に違いないから…

大地に手伝ってもらおうと思ったが

ガチャガチャしていてうまく繋がれない。

 

そうか、地震があって場もベクトルがあちこちにあるのだ。

お空とどこを軸にここへ流していただくか、、

すっと入ってきたのが海だった。

 

日本海の大海原は、

ここ一週間のぐずつきを吹き飛ばすほどの青空を映し

ゆったりと凪いでいた。

 

とたんに、

この人の細胞のひとつひとつが

海の精機を吸い取るように潤っていくのが分かった。

 

 

ペンキ画家のショーゲンさんが行っていた言葉。

大自然にとても愛されていた、その記憶を思い出して。

まさに、その通りで

海はずいぶん前から彼女も含めこの地と人を愛していた。

 

そしてここの人を全力で支えに来た彼女にも

同じように今までと変わらない愛を

思い出させるがごとく注いでくれたのだった。

 

余ったエネルギーは

彼女の美しい両目からあふれて流れた。

 

 

ごくまれに、

こういうピュアな瞬間をクライアントさんからシェアしていただける。

今回もおこぼれを頂き

晴れ晴れとした気持ちになったのでした。

 

 

ありがとうございます。

わだつみのかみ。

今年の私のキーマンとなる御方。

 

 

 

 

たった三泊四日の活動だったけど

あっという間で、そして目が覚めるような経験を頂いた。

 

関わってくださった方々には感謝しかない。

本当にこのたびも

ありがとうございました。

 

 

 

いつも思う、

結果的に自分のためになってしまうボランティア。

自分のためにやっているのだ、と言い切ることは

まだおかしい発言なのだろうか。

 

 

たとえば経済的な視点から見たら

国際的な活躍ができるような大きな協会は

給与の保証、物資の提供、安全の確保、など

ボランティアではない規模で確立してきている。

ゆえにできることは大きいし、県や国にも言うことを言っている。

 

そして政策を動かし、より安心できる日常に還元していっている。

こんな大きなうねりを生み出すことは

瞬間だけのボラ一人ではすぐにはできないだろう。

 

 

各地でスーパーボランティアの方々に出会ってきた。

全然すごい。無私。

活発な献身は身ぐるみはがされた方の背景から支えていた。

 

その時間がその方々の人生になっている。

支えながら支えてもらっている、

必要とされながら必要としている、

気にかけている、気にしてもらっている。

 

豊さとは、こういう積みかさねではないだろうか。

 

 

 

 

耳が遠くなり、鼻もきかなくなり、眼もみえづらく、

頭は何回転も遅くなって、物忘れして動けない体になっていって

徐々に機能を手放していくことの開放感はあったとしても

その時に誰とも交流がないなんて

貴方に会いたいよ、と言われないなんて。

 

そんな寂しいことにも耐えながら

もうそろそろ死んでも良いかな、と思えたとき

都合よくお迎えが来ればよいだろうが

思うようにはなりません。

 

一人で何もできないでいる時間が長くなってきたときに

あんな時にこんな人に出会って、あんなこと気づいて、

うだうだ話して、感じて、考えて、こういうこと知ったな、決めたな、

という走馬灯を繰り返すなら

私はたくさんの経験をしてみたいと思う。

 

それが思い付きのボランティアであっても、何でも。

死ぬ瞬間まで。

 

 



北陸割?みたいなGOTOが始まったとか。

そんなものよりいち早く、

金沢の飲み屋さんはそれぞれに支援に入っていた。

頼もしいな。笑顔の人が増えますように。

 

 

 

 

お供はこの方と。

千枚田って知らなかった。

千枚田について – 白米千枚田

 

地震でひび割れがあったようだけど、

お米の収量も落ちてしまうのだろうか。

写真がきれいだったので、ぜひ見てほしい。

 

いろいろな種類、7本持ち帰ってきた。

お世話になっている方々にお配りするもよし、

自分でも味わうもよし。

もし奇特な方がいたら、有料で引き取っていただいても構わない。

 

 

ほろ酔いでつらつらと書きたいように書き散らした。

 

 

ここで書けないこと、気が付いたこと、たくさんたくさんあるけれど、

もし関係者の中で、この写真、この文、やめてほしいということがあったら

遠慮なく申し出てほしい。速やかに削除します。

 

 

もしご飯に行く機会があったら

石川のお酒や料理をぜひ味わってほしい。

 

 

災害がない場はなく、それぞれ頑張っている。

でも、今はまだホットな能登

しばらく心を寄せ続けよう。

 

 

 

 

 

 

いろいろな記事に上げられている。

客観的な取材、介入している団体、などについてはこちらを参照。

 

取材に入っている人によって、違う見方もある中の一つ。

時事刻々と状況は変わっているため、

経過の中のある一点、としてシェア。

 

www.powerweb.co.jp

 

こちらでお世話になったので、

奇特な方がおられましたらお気持ちとともに支えてほしいと思ったり。

 

smart-supply.org

 

時事通信の取材に時には立ち会っていた。
見守りだけの人‥。

sp.m.jiji.com

 

 

 

 

辰年に寄せ、漢字

辰年は、干支では五番目。
だいたい午前七~九時ごろ、八時ですね。
東南東を司ります。
 
この「辰」の成り立ちは、国語辞典によると
二枚貝が殻いている形を描いたとか。
蜃(おおはまぐり)の原字だと。
 
水辺に関係することが連想されますね。
蜃気楼、水の上に現れる彼岸の幻。
みずち、とも読み、想像上の動物を意味します。
 
 
訓読みで、たつ、とき、ひ。
音読みで、シン、ジン。
 
とき、は日々の読み。
天体(太陽、月、星)の総称。
辰星(しんせい)。
旧暦三月の異名、辰月(しんげつ)。
 
 
晨(あした)、も刻や時間の流れを。
晨け(よあけ)。
 
 
身体に関すること。
唇、脣(くちびる)
娠(みごも)る、(はら)む
溽(むしあつ)い
辱(はずかしめ)る、(かたじけな)い
膿(のう、うみ)
 
農(たがや)す、(のう)、が出てきました。
神農祭りは11月23日ごろ。収穫祭ですね。
耨(くさぎ)る、(くわ)、(す)く。
鍬のことで、草を切る、らしい。
雑草を取り除くとき、一文字で書ける。
 
儂(わし、われ)、男性の自称のこと。
 
宸(のき)、軒先と同じ意味ですが、
天子の住まう家、天子に関する冠する語。
となれば、
褥、蓐、(しとね)、は敷物だけど天子の?
やはりこの世のものではない字にあたる。
 
 
濃(こい) 色や味が濃いことだけど、(こま)やか、とも。
 
賑(にぎわ)い ほどこすという読み方も。
 
振(ふる)う、(すく)う、救うに通ずる。希望がある。
振恤(しんじゅつ)という言葉があり、
恤は、あわれむ、うれえる、めぐむ、の意。
恵み救うということでしょうか。
使ったことないなー。
 
震(ゆれうごく)、(ふる)える、(ふる)う。
震えおののく、驚く、畏れる、の意。
 
元旦から納得です。
震にのまれそうになったら、
辰という字を手のひらに書いて飲み込む、を3回やりましょう。
飲む飲まれる、同じことだけどね。
 
 
 
辰、は龍に通じるので番外編。
瀧(たき)、滝(たき)
 
朧(おぼろ)肉付き、という点で親しみがある。
 
聾(ろう)龍の声を聞いているのでしょうか。
 
壠(うね)(つか)(おか)
壟(うね)(つか)(おか)畑に関わる意は土。
 
襲(おそ)う、(かさ)ねる、不意打ちという意。
(つ)ぐ、跡を継ぐと同意。
重ねるという意味は、重ねたころも。
桜襲(さくらがさね)というものは、
表は白、裏は濃い葡萄染(えびぞめ)のこと。
色を重ねているのでしょうね。
春の言葉。
 
 
竜(たつ)(たき)
将棋の飛車が成り駒で竜王と。
藤井八冠にも期待。
 
 
 
辰年は過去に、争いや大きな出来事、選挙、が多かったそうです。
戊辰戦争東京オリンピック、など)
 
どんな一年になるでしょうね。
 
 
 

2024年、令和六年元旦によせ

恭賀新年。明けました。

歳神さまとともに、皆さまいかがお迎えでしょうか。

年が改まりました。

皆さまの健康と幸福をこころから願います。

 

本日は、天赦日、一粒万倍日、甲子。

始まりと願い事を始めていくにはベストオブベストの日。

いつも以上に、世界中の人が

自然と笑顔になる年になるよう祈ります。

 

 

そして、今年もここで土と戯れます。

一年ごとの挑戦に、どんなテーマをもっていこうか。

お仲間との話し合いで、どんな方向に行くでしょう。

 

新しいことがあってもなくても、

同じようなお空にはならないから。

きっと、今年も試されながら思い出しながら

気づいていく秘密にであえることでしょう。

 

そのために必要なことが困難であっても、

ドンとこーい。

 

ご縁のいのち、すべてとともに

調和すべく

今ここに在る、を約束して。

 

 

 

2023七味五悦三会

2023総括

2023年は癸卯(みずのと・う)の一年でした。

十干の最後、水の弟で陰の気。

癸(みずのと)は、次のサイクルに向けた準備の時。

それに十二支の兎。

冬の気である丑寅が解き放たれ、

蕾が花開いていくような直前。

 

あるものが終わり、あるものが始まる。

そんな一年だったのではないでしょうか。

 

 

一段落させたのは、政治活動。

 

始まったのは、タハタ。

選挙で知り合った長野の方に声をかけてもらって、

田畑で作物を育てる好機に恵まれた。

 

全く違うベクトルで、情熱を傾けた年になりました。

 

 

さて、今年も七味五悦三会です。

友と出かけたり、連れて行ってもらったり、

美味しい、楽しい、嬉しい、を備忘録として残しましょう。

 

 

七味

 

タハタで採れたお野菜・お米

春の菜っ葉から、冬の白菜まで、

一年にわたって食べ続けることができました。

獣に全部食べられた、トウモロコシ。

なぜか足が伸びなかった人参。

ほとんど虫さんのために植わっていた、スティックセニョール。

それぞれのヒストリーがある野菜たち、美味しく頂きました。

プチトマト、きゅうり、オクラ、ピーマン、南瓜、ラディッシュ、白菜、西瓜。

特にこれらは大豊作で、楽しませてもらいました。

 

お米も餅米も、プロ米農家さんが認めるほどの豊作に。

だいぶ雀さんにはお裾分けしましたが、

今まで食べてきたお米の中でも、格別嬉しく身体に届きました。

 

多分、お仲間と、その子供らと、和気あいあい、身体を動かして

お日様を浴びて共に居た、という思いによって、

さらに舌に刻まれたのだと思われます。

 

石臼と杵でついたお餅

古民家にある石臼と、マー坊が持ってきてくれた杵。

精米し、洗って浸水し一晩、水からあげて竈で蒸し、

ホカホカの湯気のまま、力技でぺったんぺったん、米粒から餅に変身。

餅とり粉で受け止め、丸め、

きなこ、あんこ、ごま、のし、と変化も楽しい。

年末の風物詩になっていくのでしょうか。

 

恵美子手作りの、お魚つみれ鍋・おでん

弓子手作りのヴィーガン鍋・おつまみ

やはり手作りに勝るものはないですね。

気遣いと労りが、何よりもスパイスになっているのでしょう。

美味しくて嬉しくて、お代わりを何度もしてしまいました。

ありがとう。

大切にしていることを、尊重してもらえたこと。嬉しかった。

 

久虎の白出汁で頂くお蕎麦

https://www.instagram.com/hisa_tora/

一枚板の机が磨き上げられ、清潔さ、無駄のない店内。

そばつゆの色が濃いほうがしょっぱい印象だけど、

京風?なのか、雅な雰囲気で、しっかり味がある。

お蕎麦も出汁も、文句なく美味しい。

あまり得意ではない天ぷらも、サクサク頂けるのです。

 

発芽蕎麦が食べられる、奈賀井

トップページ | 手打蕎道 奈賀井

立派な古民家、高い天井に広い空間。塗りの器で供される。

こういうムードがまた、しみじみと美味しさを演出してくれます。

発芽させたお蕎麦の十割。どっしりとお腹に入りました。

味わう、にふさわしいお蕎麦です。

 

紅葉館のディナーで頂いた林檎のグラタン

信州高山温泉郷 七味温泉 紅葉館 – 長野県北部にごり湯の一軒宿 秘湯

温泉も素晴らしく、リニューアルしたお部屋は木の香りを放って癒されます。

その晩餐会では、すべてが完璧なタイミングで、

完璧な順番で、完璧な温度で、提供されました。

どれも美しく、美味しく、甲乙などつけられませんが、

グラタンの概念が変わった、という一点においてエントリーです。

 

十三月のかき氷

https://www.instagram.com/cafe_13gatsu/

猛暑でしたね。こちらにしては長い夏でした。

避暑地にふさわしい小谷村でも涼を取りたくて、思わずかき氷を頼みました。

何年かぶりの、器で頂くかき氷。

頭にキーン、とこない。氷の削り方にヒントがあるとか。

暑さあっての味わいなのでしょうね。

 

 

五悦

 

農作業、タハタ活動

その内訳として、祈年祭、田植え、草取り、水まき、稲刈り、

脱穀新嘗祭、種取り、餅つき、などなど。

イベントで皆と知恵と力を絞って計画、分担、分業。

天候に左右され、臨機応変の対応も必要だった。

 

芍薬農家さんのお花摘み体験も・・・素晴らしいものでした。

目くるめく満開の芍薬がひしめくビニールハウス。

「開ききったのは売れないから花をもぐんだ」

天を仰ぎ全開になった大きな花びらを、遠慮なく首からちぎっていく。

これほど贅沢に花と戯れたことはかつてなく、

静かに興奮しながら、この眩暈するほどの赤やピンクを持ち帰り、

お風呂やお部屋に敷き詰められたら、、と妄想してしまうのでした。

 

 

剣山

西日本において、高い山から登っているが

やっとお参りに行けた。そして大楠に出会えた。感無量。

その時は高ぶる思いを勢いで書きなぐったので、割愛。

同行のふみたん、いつもありがとう!楽しかったね。

 

多良間

今回は行ったことが無い浜を開拓した。

上げ潮にゆらゆら気を抜いていた海亀。

足元まで来ても、波に任せ、ゆらゆら、海リズム。

 

海亀とエイは、私に気が付くと一目散に距離を取りましたが、

海蛇さんは好奇心旺盛で、一直線に向かってきました。

お口が小さいため噛むことはない、と後で知るのですが、

その時はアタフタと逃げ出して、珊瑚で足を切りました。。

 

テーブルサンゴの狭間には椅子ぐらいあるシャコガイが半開き。

手を伸ばせるところで見つけたブルー珊瑚。

海での出会いも感動の連続であったが、

島の工事現場で働く人々との共同生活も、

キッチンやシャワーの取り合いでなかなかスリリングでした。

 

福島の研修

ボランティアの研修で訪問。

福一、福二、を遠望。

調べたこと、聞いたこと、学んだこと。

色々な気持ちにもなったし、考えたこともない事を考えた。

郡山では懐かしい友と再会。

4年間の空白を埋め心温まりました。

よしこちゃん、ありがとう。

 

各種温泉(野沢温泉、七味温泉、万座温泉葛温泉

夏はぬるめの、冬は熱めの。

選べる贅沢を噛みしめ。

葛温泉は秋の盛りに訪問し、身体まで深紅に染まりそうな景色でした。

長野県信州の秘湯葛温泉の旅館 髙瀨舘

 

 

三会

 

出会い直した芍薬農家の方

2019年の台風19号襲来の折り、

泥かきに行った際、お邪魔したことが初めて。

それからずっと気になっていて、奇跡的な引き合わせで再会が叶った。

 

そこで、事情で手放すことになった20年以上育った根を分けて頂いた。

こんなふうに花を繋ぎ、ご縁を繋いでこれたこと、

まわりの皆さまには感謝しかありません。

来春、畑で自由に咲いてくれるだろうとの希望まで頂きました。

 

脱皮したてのオニヤンマ

日の出を迎えながら、ひんやりした水を湛えた田で草取り。

暑くなる前に動こうとするのは、生き物として自然なことなのでしょう。

感激の出会いがオニヤンマでした。

 

稲穂に二体、昆虫がいるな‥と思ったら抜けた蛹と本体。

薄く透けている緑色がどんどん色づいて、

黄色と黒の縞々になって、繊細な翅にも血が通い、しっかりと脈打つ身体を

ふわりと無重力のように飛び立っていった。

 

オニヤンマの成虫寿命は1,2か月。

ヤゴでは約5年、水や泥に潜んで越冬もする。

その間に10回ほど脱皮を繰り返し、変態していく。

どこに潜んでいたんだろう、10年も休耕田だったここの。

 

けーこさんと一緒に見守り、見送り、

興奮を分かち合い、ぬかるみから這い出る余力がなく

お写真の代わりに心に焼き付けた出会いでした。

 

どこをどんな風にドライブをしていたのか、定かではないが

夏の山道、野生のクマを見かけました。

どれだけ山に入っても、嫁いで何年という主婦も

ニュースで報じるほど見たことはない、と聞いていた。

本物に(かすってでも)出会えたこと、超絶ラッキーでした。

 

ガサっと森に入ってしまい

狸や狐のように、姿を気軽にあらわさない感じ。

生態系の頂点だけあって、そうそう気安くはなかった。

またどこかで、次回はお顔をみせてほしい。親子で。

 

 

 

年を取ってくると、

初めての事は少なくなると思っていた。

そんな思い込みがひっくり返り

初めて尽くしで、予習が追い付かないまま

季節に追い抜かれ、置いて行かれたような感じの一年。

 

いつかは‥と思っていたことが現実になって、

ああ、叶う時間がまだあるんだな、とか

欲を出したら、それなりに力も湧いてきて

少し無理ができたり。

 

その少しが熱量に押され

怪我が多かったのは反省。

身体の声を聴けてない、などなど

三会次点で出会った針の先生にも釘を刺され。

 

頼られたら嬉しいんだよ、と言ってもらえて

意識的に甘えたり、できるようになったかな。前より。

 

一人では、とうていなしえないことが増えていく。

こういうことが豊かさなのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

フラワーエッセンスの振り返り、少し。

 

 

テーマレメディだったホリーの巨木とは

3度も会いに行くことできた。

 

柊の木、

細くてごちゃごちゃと生垣に生えていたりして

存在感は薄いイメージだったけれど、

ごつい樹皮、樹上に豊かな緑を湛え

ブナに邪魔されずあっけらかんとお日様を独り占めし

完全に安心しきった佇まいは

愛を体現すべく選ばれし雄姿そのものでした。

 

 

春分にはウオールナット、

夏至にはチコリー

愛、アイ、と絞り込んでこられ

息が詰まりそうになる時もあった。

 

サウィンではヴァイン。

あー、そうでしたか・・。

 

TAOのカードは何度も繰り返し

飽きもせず寄り添ってくれる、ローワン。

剣山では日本一の古木に出会え、

直観に従いなさい、を貫く一年となった。

 

途中、気持ちをゆさぶられることがおこっても、

その都度にお助けが来てくれた。

 

かすみんとドリカムライブに行った翌日、

タロットミュージアムへ訪問。

そこで引いたカードはマジシャン。

忘れていたー・・・と、また知らされ。

 

 

内外からの攻撃から守り

安全な場でこそ

解離していた意識を呼び戻すことができたのか、もしれない。

not me を体験し、取り組み、そして

それも一部であったことを受け入れた・・・のかな。

 

そこには愛が常にあり、

愛するものが対象でなければ

愛ゆえのブラインドな感情も、

受け入れることはなかっただろうと思う。

 

 

嫉妬、妬み、僻み、がこじれてしまうと、

とことんまで自己否定、自己嫌悪。

その扉が開く前に

無かったことにしてしまう方が凌げるというもの。

 

 

そんなに情愛が濃いほうではない、という自覚こそ

盲点であった、のかも。

濃淡ではなくて、あるんだということ。

それだけ。

 

自己とかいうくくりも

便宜上、今のところ、少し採用している、社会の中で。

そういう思いもあるんだよね、は

シンプルなのに

引き寄せるまでが長い道のりでした。

 

 

 

 

 

今年の花、などというテーマはないけれど

大輪の芍薬はセンターの座にふさわしい。

 

けれど、

種を水でふやかして、土にかえし、

(途中、面倒を見ていただき)

ちいさな双葉から、もりもり大きく葉を伸ばし、

地球に植えてからの成長ぶりに支えてもらえた、ホーリーバジル。

 

種を取った殻すらも、

古民家の玄関先で、ふんわりと香りを放ち

常に存在感を感じさせてくれていた。

 

 

そんな植物がある、というのを知ってから

ずーっと育ててみたいという夢があった。

 

こんなに気持ちの良い場で、

遮るものが無い空のもと

どんなふうに星空や風、行きかう人や獣や虫たちと

お話ししながら育ってくれたんだろう。

 

そんなお喋りを閉じ込めた種の、

望むような土と、私たちを、

ホーリーに捧げたいと願うのでした。

 

 

ありがとう2023年。

 

祈りから始まる

自分を大切にするということと

国益を守るということ

国と民がフラクタル

 

繁栄を考えずにいる国を作っているのは

自分を守らず枯れるがままに生きる屍

 

 

互いを大切にし合ってきた民にとって

世界が助け合わないとは考えもつかない

 

困っている国を助けに行って

民が犠牲になってもその何倍も

世界の人を救えた

死が次を生かす

大東亜戦争は国民性を反映した戦だった

 

その終結は事前告知のない原爆によってもたらされ

78年

私たちは今までにない考え方や文化を吸収し

果敢に自国以外のものを統合しようとしてきた

 

和魂洋才など知らぬ

ただ必死に毎日を繋いでいる綱渡り

脱落者を見送りながら

虚ろなこころに

もはや大調和の誇りは響かない

 

 

誰にも何にも関われていないと感じている人に

初めの一歩って何を示せられるだろう

 

 

あなたが少しでも

ホッとできますように

真心から笑顔になれますように