together with global breathing

こころが動いたことを綴ります。永遠に地球が平和でありますように。

2026春、神社仏閣古墳巨石などシリーズ③

元をたどるというということで

元伊勢三社

 

元伊勢 外宮 豊受大神社(とようけだいじんじゃ)

伊勢神宮外宮の元宮、という伝承。

豊受姫命(とようけひめのかみ)。

豊受姫命は食事、芸事、衣食住、生活全般を司る。

読み方や漢字が変えられていたり風土記でも違うお話になっていたり、謎多い。

 

天照がご飯の支度してほしいとかで呼び寄せたとか、、

おさんどんの神様??

生活において食事は大切だが、神様ご自身が必要にしていたわけではなく

分け御霊である人々が栄えるために欠かせないものだったからではないだろうか。

 

あえて食に意識させるために大切にしたのではないだろうか。

民の生活が順調にめぐってこそ国が栄えるということなのだろうか。

 

異性での夫婦形態により子供を産み命を繋いできたことを前提に、

天照が女神だったら、豊受は男神?

男性が生活を支えてきた?

お父さんが細やかに季節(旬)や栄養を考え食事のお世話などしてきた・・

のであれば、

現代の男性も神に匹敵する生活能力が高いのではないだろうか。

やればできる。そう、やる気になれば。

 

お伊勢さんの外宮にもおられる豊受が、

台所に置くお札とか、飲食業界で推し、とかあるのかな…

あまり聞いたことが無いけれど、神話はつかみどころがない。

 

 

朝の訪問。清浄な空間。

「龍燈の杉」は本殿裏にそびえている。

節分の深夜に龍神が燈火を献ずると言い伝え。

スギの両側には末社三七社。


元伊勢内宮皇大神社にも「龍灯の杉」があり。

 

 

 

元伊勢 内宮 皇大神社

御祭神は天照大神。

皇大神社について

元伊勢内宮 皇大神社

森にようにうっそうとした樹々を抜け、木漏れ日の石段。

ひらけた境内は守られるように温かな感じを受けた。

 

「龍灯の杉」、は本殿向かって左奥。

昭和37年、平成3年、火災と台風で枯死寸前に。

平成6年に接ぎ木挿し木で移植をし、側に若木が育っている。

麻呂子杉は参道のど真ん中に育っていた。

京都府の「天上の木」10選に選定されています。

HPより、

聖徳太子の御弟麻呂子親王が、丹後国与謝郡河守庄三上嶽に棲む英呉、軽足、土熊という3人の凶賊を追討された時に、当社に詣でて御手植えになったのが3本杉といわれています。

樹齢千年以上と伝えられ、もとは3本杉でしたが、落雷等で枯死し、今は1本となっています。

 

 

 

元岩戸神社

櫛岩窓石命(くしいわまどのみこと)、豊石窓戸命(とよいわまどのみこと)

宮崎にも松代にも「天の岩戸ここにあり」という。

そのうちの一つはここ、福知山に在り。

切り立つ川べりに建てられており、滑りそうになる足元に注意。

水がめちゃくちゃ透明で輝いている。

流れ続けるものは澱まない。風が起こり空気も動かしていく。




元伊勢 丹後一宮 籠神社

彦火明命(ひこほあかりのみこと)

ニニギの兄弟。

 

籠神社について|丹後一宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ) 奥宮 真名井神社(まないじんじゃ)

この鳥居の中は写真撮影禁止。

あまりわかってない観光客がビシバシ撮っていたら普通に叱られていた。

白い石畳み、白い鳥居、レフ板作用で眩しくて目を細めるしか眺められない。

光に溢れている、と言うのとも違うけれど、純白のイメージが湧いた。

 

 

真名井神社

籠神社の奥宮

 

豊受大神をまつっており、湧き水が汲める。

磐座は神社になる前から祭祀に用いられた、のか?

 

 

天橋立

古くからの観光地であるが、少しお疲れな雰囲気だった。

島、とか。とにかく青がきれいだった。

 

 

 

能登國一宮 氣多大社

おおなむちのみこと、ぬなかわひめのみこと

入らずの森、をしょっている。

昭和天皇のお話がちょっとイイ。

 

能登、珠洲市においては美保神社との縁が深い。

セットで御参り出来たらそれはとても幸福な事。

氣多大社




日本海



2026春、神社仏閣古墳巨石などシリーズ②

熊野本宮大社

 

熊野三山(本宮←ここ、速玉、那智)と、全国の熊野神社の総本山。

神武東征よりも早く御祭神は熊野に鎮座していた。

 

主祭神、上四社は正面に

家都美御子大神(ケツミミコノオオカミ)/ 素戔嗚尊。

両サイドに夫須美大神(伊邪那美/いざなみ)、速玉大神(伊邪那岐/いざなぎ)、

第四殿に若宮(天照大神)。

 

けつみみこ??あまり耳馴染みが無く読めない…

 

大斎原(おおゆのはら)

もともとはこの河原に神社があったが、洪水で流され現在の位置に再建。

日本一大きい鳥居。生命再生の聖地、とか。

仏教が伝来してから、

大宮は阿弥陀如来(未来)

速玉が薬師如来(過去)

那智が千手観音(現在)

が本地仏とされた。

三社を参拝することで「よみがえる」という熊野詣の意味を持たされてきたようです。

 

速玉にはイザナギ/イザナミが祀られている。

二神が降り立ったゴトビキ岩がある神倉山。

それゆえに元宮と呼ばれるが、地名になっている新宮は速玉を指す。

巨石は崖の上にありかなりの存在感がある。

 

那智にはイザナミが祀られている。

御瀧そのものがご神体であり、大己貴神(オオナムチ)の現れとし

瀧そのものを拝するため社はない。

飛瀧神社は熊野那智大社になる前から様々な神様が祀られていて

かなり古い信仰があったと考えられている。

 

熊野那智大社 飛瀧神社 那智御瀧

熊野速玉大社公式サイト|和歌山県新宮市鎮座 根本熊野大権現 世界遺産

熊野三山協議会

 

幼いころ家族に連れてこられ

大人になってから何度か詣でているが

縁起や主祭神など未だに良く把握していないのがお恥ずかしいところ‥。

 

奈良は住んでいたけれど深山と歴史は広大すぎて、

三重、和歌山、ご縁があっても隅々までは及ばない。

何度でも訪れたい神々の懐、すべてを知ることがないのもまた良ろし。

 

 

淡路一之宮 伊弉諾神宮

古事記・日本書紀で、最も古い記述があるのがこちら。

天地開闢、本当のことはわからない。

高天原が関西ではなく、北関東や九州の説もある。

分からないなりの前提として今ここでの一説を記しておく。

 

造化三神より、七代後に産まれた男女神イザナギ/イザナミは

「この漂ただよへる国を修理固成(つくりかためな)よ」と命じられた。

 

二神は天沼矛(あめのぬほこ)で海をかき混ぜた。

矛から滴る雫がおのころ島となった。

この島に降り立ち夫婦となり国生みの儀式を行った。

 

一番初めに生まれたのが淡路島であった。

続いて四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州が生まれ、

「大八洲(おおやしま)」と呼ばれる古代日本の国土が出来上がった。

 

北海道は・・・

二神をお祀りしているが、昔はイザナギだけが祭神だったらしい。

天照大神を産み天下統治を委譲した後、ここで余生を過ごした。

御隠れ(崩御)したので、幽宮(かくりのみや)と呼ばれている。

 

イザナギのお墓なのかも‥。

 

火の神を生んだことで亡くなった、妻イザナミはどこに祀られているのか?

えーあい君の情報では三か所候補があった。(三重、広島、鳥取)

ひとつに、熊野の花の窟神社。巨石がご神体。

記憶から想起されるに、確かに女神ポイ感じはあったな‥

花の窟・花窟神社【はなのいわや】 世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』 >> 世界遺産 花の窟

 

 

 

 

金刀比羅宮(ことひらぐう)

神仏分離までは金毘羅大権現をお祀りしていた。

現在の主祭神は大物主と崇徳天皇。

開山の由来はいろいろあるようだけど、

役行者が像頭山に登った時、天竺毘比羅霊鷲山にいる金毘羅(クンビーラ)に会った。

その伝承から象頭山金毘羅大権現になった、らしい。

 

クンビーラはガンジス川に棲む鰐を神格化した水神。

日本の神話、因幡の白うさぎでも鰐がでてくるが、出雲ではサメのことを指す。

このクンビーラは日本においては蛇とされている、らしい‥

 

クンビーラはガンジス川を司る女神ガンガーの乗り物。

ゆえに海上交通の守り神として、海を見渡せる高台に祀られることが多いそうな。

 


金刀比羅宮

HPにはクンビーラに一切触れてない。八百万の神々が居て嬉しい。

何故ここまで飛んできてくれたのかなー。

 

大物主の妻、美穂津姫も祀られている。
(大国主説、オオナムチの奇魂幸魂、など色々諸説あり‥)

 

どれもこれも立派で圧倒される。

奥の院までは1300段以上の階段が続き、なかなかのハイキングなのであった。

 

四国別格15番が金毘羅大権現をお祀りしており訪問が楽しみ。

 

 

 

伊予国一宮、大山祇神社。日本総鎮守。

全国の大山積神社の総社。しまなみ海道の途中にある大三島に鎮座。

大山積神(漢字表記は色々あった)は、三島大明神と同じ。

山の名前だけど海の神様でもある。和多志(渡し)の大神とも。

イザナギ/イザナミの子。

 

境内摂社には姫子邑神社(ひめこむらじんじゃ)、木花開耶姫が

境外摂社に阿奈波神社(あなばじんじゃ)、磐長姫がお祀りされていた。

娘たち、並べても良さそうなのに・・、と思ったり。

摂社【上津社-かみつやしろ】御祭神は大雷神(おおいかづちのかみ)、姫神。

摂社【下津社-しもつやしろ】御祭神は高靇神(たかおかみのかみ)、姫神。

御本社と両摂社の三社を以て大山祇神社と崇めまつる(HPより)。

 

大山積大神の子孫である小千命(おちのみこと)、お手植えのクスノキ。

樹齢2600年以上。

水軍だけでなく、近代の軍人も参拝をし武運を祈願した。

刀や弓などを多数奉納。宝物館にあるとか。

 

【公式】大山祇神社 愛媛県今治市大三島町

 

 

こちらは樹齢3000年越え?生き木の御門。

クスノキは大きく育つとはいえ、三千年…。単独で愛媛県の天然記念物指定。

実物を見ることを強くお勧め。

 

 

阿奈波(あなば)神社外摂社 磐長姫命。

イワナガ姫はニニギノミコトに容姿が「醜い」と言われ婚姻を断られた、

という神話がある。

岩のように悠久の寿命を象徴する姫君だったのに‥

そのことで神々の寿命が短くなった、という。

今では「醜い」という言葉を

見にくい、見えにくい、つまり物質的な存在ではない姫だったという解釈がある。

星の王子様の名言、

  大切なものは目に見えないんだよ

なんていうのを思い出したりした。

 

ニニギは知らなかったのかなあ。

海辺にあるのだが、行きづらく、途中の灯篭が壊れていたり、

境内の壊れた感じが寂しかった。

 

伊豆系では、父の元に送り返されたときには邇邇芸命の仔を懐妊しており出産した。

伊予系でも似たような伝説があると。

また『古事記』において大山津見神の娘で、須佐之男命の子の八島士奴美神と結婚する、木花知流比売(このはなちるひめ)は石長比売の別名であるとする説もある。

(ウイキ君から)

 

豆一粒とっても、均一で太陽のように丸い形のものは大事にされる。

逸話として残っているというのは、

美醜がいつの世も問われるということなんだろうか。

 

 

 

出雲国一宮、出雲大社。

大国主。

 

日本最大のしめ縄にはお賽銭が埋め込まれていたり、お作法の間違いあり。

 

えーあい君によると

一般人がはいれない御本殿と瑞垣内摂社のしめ縄は真菰で編まれている。

1864年以降からとあるが、記録に残っているのがこの頃からだから。

もっと昔からそうだったらしい情報アリ。

 

古代から真菰を使っていたのは、稲の前から国土に生えていたのと、

邪気を払うなど神聖な植物という考え方があったから、という感じ。

 

広々として立派な境内、庭園。ブロンズ像も多数。

出雲大社

 

 

 

御陵(ごりょう)神社(磐座)

湧き水と、岩。

 

神魂(かもす)神社

主祭神はイザナミ。合祀がイザナギ。

本殿の写真が無いのでこちら。

神魂神社 | しまね観光ナビ|島根県公式観光情報サイト

国宝。日本最古の大社造とのこと。

すぐそばにある高校の敷地内にある磐座は三輪神社にも通じると。

 

 

 


揖夜(いや)神社

【御祭神】
伊弉冉命(いざなみのみこと)
大巳貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)

 

記紀神話の神産みや大国主の神話に登場する黄泉の国、

もしくは根の国(古事記では根之堅洲国)

との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の比定地が当社の東方の揖屋町平賀にあり、石碑が建てられている 、とか。

(ういき君より)

 

揖夜(いや)神社|公式ホームページ

 

 

 

美保神社

美穂津姫(たかむすひの娘、大国主の妻)と

事代主(大国主の子)。

えびす社の総本山。開運、商業の守護。

明治時代のお話がスゴイ。

能登沖で遭難しかけた船、美保神社に祈ったら巨大な鯛が現れ美保関まで導かれ

難を脱したという。

音楽や芸能を守る面もある。

楽しいことが好きそう、えびすさん。

 

いつ来てもいいなあ。

気持ちの良い場所。

薄と杵で餅つきをしていた。

そういう人の集まりがいい。

 

美保神社 | えびす様の総本宮 | 島根県松江市美保関町

この岩に腰かけ釣りをしていたところ、大国主に声をかけられ国譲りとなった。



鳥取砂丘

らくだ、いる。

 

2026春、神社仏閣古墳巨石などシリーズ①

墨坂神社(すみさか)

日本最古の健康の神。健康の神?、は疫病を鎮めるために建立された謂れからか。

墨坂神社

日本書紀の第十代崇神天皇の記述、夢のお告げ。

「赤盾八枚、赤矛八竿を以て、墨坂神を祠れ。亦黒盾八枚、黒矛八竿を以て、大坂神を祠れ」

墨坂神社と大阪山口神社(現ご祭神:大山祇命)の間に崇神天皇の宮、

磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)がちょうどあった。

 

志貴御縣坐神社(しきみあがたにます)に磯城瑞籬宮跡の石碑が建てられているとのこと。

志貴御縣坐神社〜大和のはじまりを抱く社 - 大和ふるさと手帖〜奈良だより

 

自分の宮で疫病が流行ったから、収めるために神社を建て祈ったのだろうか。

関所にもあたり、外部との交流に制限をかけたかもしれない。

境目の神様。逢坂の神、機会があれば詣でたいものです。

 

墨坂大神とは、以下六神の総称。

神武天皇御東征のみぎり墨坂の地ですでに祭祀されておりました神々、
天御中主神(アメノミナカヌシノカミ) 天地宇宙創造の神
高皇産霊神(タカムスビノカミ) 男女産霊の神、生成力を持たれる神
神皇産霊神(カンムスビノカミ) 生成力を我々人間の形とした御祖神(みおや)
伊邪那岐神(イザナギノカミ) 国生みと神生みの男神
伊邪那美神(イザナミノカミ)天津神の命により創造活動の殆どを司り、冥界を司る女神
大物主神(オオモノヌシノカミ)五穀豊穣厄除け国の守護神である
(HPより転記)

 

 

長野県須坂市に二つの墨坂神社がある。

いずれも祭神は墨坂神で、天応元年(781年)に朝廷から神封1戸をあてられ奉られた。

墨坂神社 (須坂市) - Wikipedia

すみさか、が変化して「すざか」という地名になったとかいう話もある。

 

芝宮(通称:地名の芝宮から)

墨坂神社 芝宮-須坂探検マップ

八幡社

墨坂神社 八幡社-須坂探検マップ

 

年に何回か?奈良から須坂へお参りに来る人もいるとか。

今でも繋がっていると感じられるセンス、誇りに思う。

 

 

森野旧薬園

小石川植物園に並ぶ最古の薬草園。

森野旧薬園 | 森野吉野葛本舗

 

益田岩船(橿原市)

益田岩船 - Wikipedia

 

 

箸墓古墳(はしはか)

3世紀後半(古墳時代前期初頭)に造られた。

定型的な前方後円墳として最古、日本では最大の古墳といわれている。

卑弥呼の墓という説もあるが‥。大物主の妻、倭迹迹日百襲姫(やまととびももそひめ)が、神の正体が蛇であったことに驚き、箸で陰部を突いて自害した、伝説あり。

姫の墓説が有力?

箸墓古墳(桜井市箸中) 陵墓 - 桜井市観光協会

 

 

大神神社(おおみわ)

日本最古の神社、大和一宮。大物主大神(おおものぬしのおおかみ)。

大物主は大国主の幸魂・奇魂と自称し、三輪山をご神体として祀るよう大国主に伝えた。

【公式】三輪明神 大神神社 (おおみわじんじゃ)

 

 

高野山

高野山真言宗 総本山金剛峯寺

 

 

玉置神社

崇神天皇のころ、早玉神を祀り王城火防鎮護と悪魔退散を願った。

のちに熊野三山の奥院となった。熊野・大峰修験道場、霊場。

早玉は、速玉男之命、速玉男之神(はやたまのおのかみ)、速玉大神(はやたまのおおかみ)、と同一とみなされ、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の唾から生まれた汚れを祓う神とされる。

ご祭神(本社のみ)

 国常立尊(くにとこたちのみこと)
 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
 伊弉冊尊(いざなみのみこと)
 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)=神武天皇

玉石社 大巳貴命(おおなむちのみこと、大国主の別名)

古代、神武東征以前から熊野磐座信仰の一つとして崇められてきた玉石は、 玉置神社本殿と玉置山頂上中程に鎮座します。
社殿がなくご神体の玉石に礼拝する古代の信仰様式を残しています。
玉置神社の基となったのが、この玉石社と伝えられ、玉石に宝珠や神宝を 鎮めて祈願したと伝わっています。
大峯修験道では、玉石社を聖地と崇め、本殿に先んじて礼拝するのが習わしと なっています。(古い?HPより転記)

樹齢三千年とも言われる杉の巨木たち。愛すべき存在。

https://tamakijinja.or.jp/

 

 

 

 

 

区切りお遍路第二弾、十日目、最終日 半日にて打ち止め

昨夜の夕飯を消化しきれないまま豪華な朝食を頂き7時出発。

昨日より冷え込んでおり合羽もダウンも着込む。

宿から15分程の深浦港にて巡航船を待つ。

船から見えるところに立っていないとスルーもありうる、と聞いた。

それは困るーと思っていたら、宿のおかみさんも合流し見送ってくれた。

優しさに温かい気持ちになる。

アメリカンおじズとベルギー在住のオランダ人おばさんが乗っていた。

道中何度も会釈した方々だ。

時に参拝しない安息日を作ったり、レンタサイクル、バス電車、船を使ったり、荷物を次の宿まで送ってもらうサービスを利用したり。

それぞれのペースや手段で巡っていた。

 

細かいしきたりがあるかもしれないけど、

自由に楽しんで参拝してくださるのも良いなあと感じた。

私は船からの眺めも楽しみに計画していたが、お宿から大赤字で消滅目前の巡航船に乗ってほしいと強く推された。

市職員二人で運転しており、維持管理人件費は国が出しているとのこと。

若女将さんから切実な事情その他も伺った。

宿や休憩所、トイレも辺鄙であればあるほど減っている。

世界遺産になる前に歩く人が居なくなる可能性も?ないわけじゃない。

テント背負うか野宿で行くには1200㌔の遍路は女子には厳しい。

色々考えてしまった。

 

35分ぐらいで横浪に到着。そこからは峠越えのある道を選んだ。

鶯やホトトギスの声。人っ子一人会わない静けさ。黙々。

ミカン畑を抜けていくので眺望はなかった。

仏坂不動尊(岩不動)を参拝。湧き水が足元にある‥らしい。

前傾した岩に不思議な模様が浮かんでいた。

不動尊に…見えなくもないが見えない…。

大きなボケの花がもうじき満開であった。

人に会わないがスーパーや高速道路などが見えてきた。

下ってきたから海が近いのも分かる。

 

軽トラからプッと鳴らされ、小走りに降りてきたオジから缶コーヒー1本お接待。

助手席のオバがニコニコ手を振ってくださった。

いつもいつも、ありがとうございました。

地図を読み間違えつつグーグルナビも使いながら別格五番に到着。

途中トイレを探して彷徨ったり焦ったりで時間がかかった。

本堂は坂の上。

納経所からミカンを運ぶようなエレベーター風の乗り物が設置されていた。

400円で乗れるモノレールとか。足がつらい人はどうぞ。

 

四国別格二十霊場第五番、高野山(こうやさん)、大善寺(だいぜんじ)。

ながーい修行道場である高知県唯一の別格寺。

正面に弘法大師、右は大日如来、左は阿弥陀如来、が祀られているらしい。

中は開かなかったなー。

 

弘法大師42歳の時おとずれたこの地は「土佐の親知らず」と呼ばれる小径。

近道をする人がこの石の間を通り、転落などで相次いで命を落としていたと聞いた。

弘法大師は海上にそそり立つ二つの巨石の上に立ち、亡くなった人を弔った。

そして水難防止、海上安全を祈願。お堂を建立。

 

防潮堤ができたり、廃仏毀釈があり廃寺になるが明治29年再建。

大師堂の道路向かいに二つ石の西にある一部があるらしく、

6.5m×3.5m×2.5mの大きさで露出していると。

全容は発掘を諦めたため不明。東を合わせたらどんだけの巨石だろ・・。

見なかったなー。

近隣への配慮で鐘はつけなかった。

納経所では四国霊場で唯一の空海秘伝のご祈祷塩を授かることができるらしかった。

知らなかったなー。

 


8周目のオジが合流。電車待ちで2時間以上あるから暇つぶしに来たよ、と。

中村まで行くらしい。37と38番の間ぐらい。彼なりの回り方をするのだろう。

太子堂でお別れし、御朱印を頂き念珠用の玉を買い求め、これにて遍路第二弾は打ち止め。

コンビニで荷物を整えたり支度をし須崎駅まで行くと、タイミング良く電車が来ていた。

滑り込んだら、向かいのホームにアメリカンおじズ。

 

二人は四万十川の方まで行くと女将から聞いていた。

何でも…、遍路十日目で心折れていたらしく(悪天候やら疲労の蓄積やら?)

通しうちは諦めたようだ。

彼らは颯爽と特急に乗り込み、互いに手を振った。

 

ホッとしたのか高知駅まで爆睡。

駅前もはりま橋周辺もイベントで賑やかだった。

 

街一帯にアルコール臭が。そうだった、ここは高知。

べく杯という文化(おちょこの底が尖っていて杯を置けない形状だったり、底に穴が空いていて指で押さえながら飲むので杯を置けなかったり…つまり飲み続けること)がある。


バンドが演奏していたり、県内の名産品、出見世、畳にコタツ、アチコチで宴会。

売るも買うも飲むも楽し。

いごっそう(酒豪男子)とはちきん(勝気な女性)のご陽気よいよい。

 

この度も楽しませていただきました。

次回からもよろしくお願いします。

ありがとうございました。

 

 

 

 

後日談。

 

巡航船を管理している須崎市へメールを出した。

そのやりとりを忘れないように貼り付けておく。

AIが書いたものではないことは実名があったので間違いないと信じたい。

 

ご担当者さま

先日お遍路にて巡航船を利用しました。

内湾だからでしょうか、凪ぎの海を滑るように船は進みとても楽しい思い出になりました。

外国からのお遍路さんにも大好評でした。

また、歩き遍路に出る方はご高齢の方が多いようにも感じます(少子化ですので何でもそうかもしれませんが)が、彼らもまた利用していました。

巡航船をどうか無くさないでください。

維持管理はどれほどのご苦労があろうかと思います。

しかし遍路やお接待と共に在る、無くてはならない文化を支えてほしいと強く願います。

御礼まで。失礼いたしました。

 

 

返信

お世話になっております。
企画情報課の〇〇と申します。

このたびは、須崎市営巡航船をご利用いただき、また心温まるお言葉をお寄せいただき誠にありがとうございます。

凪いだ海の上を進む船旅を楽しい思い出として感じていただけたとのこと、また外国からのお遍路の方々にもご好評であったとのお話を大変うれしく拝読いたしました。

歩き遍路の皆さまをはじめ、多くの方々にとって巡航船が一助となっていることは、私どもにとりましても大きな励みでございます。
日々の維持管理にはさまざまな課題もございますが、この巡航船が遍路文化や地域のお接待の心と共に歩む存在であることを改めて実感いたしました。

いただいた温かいお言葉を励みに、これからも安全運航に努めながら、多くの方々に親しまれる巡航船として継続してまいりたいと存じます。

このたびは貴重なお声をお寄せいただき、誠にありがとうございました。


(担当:企画情報課)

 

 

区切りお遍路第二弾、九日目 土佐市

同室の男共が寝息いびき寝言おなら一つなく静かに就寝していたのは初めてで、

寝苦しい二段ベッドにもかかわらずよく寝た。

 

荷造りはビニール音がやかましいため居間で行いサッと朝飯。

熊本オジが合流。行き先は同じだがワシは足が遅いため7時出発。

風は止んでたものの吐く息が白くなる。

地元を出る時に来ていたダウンあってよかった。

フリースのフードも被り行く。本日は午後から雨予報。

なるべく距離を稼いでおきたい。

 

土佐市に入る。

仁淀川大橋から川底まで見える透明度。

キラキラの朝日に川面が輝いてるってすご。

サイコ~とか感動していたら道間違える。

迂回し土手を進む。

 

田んぼと畑と通学路抜け子どもらに挨拶しながら35番。

 

八丁坂と呼ばれる、まさに胸突き八丁のごとく直登を上がった先ゆえに

後続者も(わしも)ゼーゼー息を切らせての参拝だった。

 

仁王門の天井絵とか彫り物が美しい。

 

札所三十五番、医王山(いおうざん)、清瀧寺(きよたきじ)。

行基が開基。厄除薬師如来。

弘法大師が金剛杖で壇を突いたら清水が湧きだし、鏡のような池になった。

ゆえに、医王山鏡池院清瀧寺、と改称された、とか。

 

薬師如来像は戒壇巡りができ、手探りで進む狭さとか。

くぐると厄除けになったとのこと。知らなかったな~。

 

眺望に恵まれた立地。トイレは久しぶりにボットン。


同じ道を途中まで戻る。

道路ばかりでアスファルトの硬さも車の走行音もしんどく感じる。

1日に2本ぐらいのバスとかヤギとか撮って気を紛らわす。


旧道を歩いたほうが落ち葉が膝に優しい。空気もしっとり。

森が呼吸しているだけでなく、森に住まう物の吐息や生命エネルギーで空気が加湿され和らいでるのかな、と感じる。

宇佐湾が見渡せるファミマでおむすび購入。

靴を脱いで開放的な気分でランチ。

 

行き先が同じメンツが揃って会釈しながら行き交う。

熊本オジは別の宿。

私と同じ宿になるオジらに私を紹介しており目でヨロシクする。

宇佐大橋を渡り旧道のプチ峠越え。

14時、やっとこさ36番の麓についた。

水回り、沈んだビー玉が美しい。

 

札所三十六番、独鈷山(とっこうさん)、青龍寺(しょうりゅうじ)。

立派な門をくぐり、三重塔に見守られ本堂へ。

弘法大師が開基。浪切不動明王がご本尊。

 

弘法大師が入唐するとき暴風雨にあい、天候を鎮めるため現れたのが波切不動。

その姿を刻んでいると言われている。

安全な航海と豊漁を願う漁民らから厚い信仰を寄せられている。

 

ここで熊本オジとお別れ。

アメリカンおじズにも再会。奇妙な一体感だ。

曇ってきてるが天気は持ちそう。

空模様次第でワンチャン行けるかも?と思っていた36番の奥の院不動堂を目指してみる。

地図では高低差は書いてなかったのにいきなり上り坂。

歩道がないので怖い怖いしながら車に追い越され。

鳥居が出てきて逃げ込むと、道は除草伐採されており難なく到達。

空海の強肩、おそるべし。

高野山を選んだ時と同じエピソードやん!

樹木で土佐湾一望は臨めなかったが三十六童子も揃って鎮座されていた。

嗚呼感無量。不動経もあげたかったが‥時間も気になってしまいスッとでてこない。

いやしかし、来てよかった。

掃除もされており大切にされてる。嬉しい。

ここから宿までグーグルで2時間半。

競歩のように足腰回転。道迷いは許されん。

 

打戻りと言うのだそうだが同じ道をとって返す。浦ノ内湾へ。

ここは空海もお寺建立の際は渡し船を使っていたという、入り組んだ入江が続く。

日没までまた時間があるはずなのにどんとん暗くなる。遠雷。

気温が下がり風が吹いてきた。

こりや〜くるな〜と風神雷神と、雨。すごい雨~。

合羽出す暇もなくコウモリ傘になりながら這々の体で今夜のお宿「なずな」へ駆け込んだ。

まるで山小屋のような木目調リビングには猫と温かいおもてなし。

男女別のトイレと男女別風呂、ベッドの個室。

洗濯機乾燥機が2台づつ、靴の乾燥機と洗浄機!?まである。

文字通りの至れり尽くせり。

前にも一緒だった8周目のオジ(神奈川県藤沢市、ヨコモリさん、80歳)と、

4周目オジ(山梨県からイトウさん、84歳)の3人で豪華な夕飯を頂いた。

彼ら曰く、ここはご飯を楽しみに狙ってくる遍路宿の中で人気No.1とのこと。

さらにご飯の追加までお接待された素晴らしいディナーをかなり頑張って完食。

オジ二人があらゆる遍路情報の交換を楽しんでおり、お仲間に入れていただけた。

嬉しかった。

彼らのように老いてなお元気に歩きたいと思った。

土砂降りの雨は2時間も降らなかった。恵み。

 

地図上の計測では30キロ以上歩いた。

道迷い、奥の院、など含めるともっとかな。

自信になった。

 

本日もありがとうございました。






区切りお遍路第二弾、八日目 渡船

ホテル土佐路(2食付7500円くらい)はビジホながらしっかりした朝飯を提供。

工事関係者の若造ばかり8人らと素早すくませる。7:30出発。

 

最安値の自販機を発見。遍路マークがない道を行くので何度も道を確認。

それでも道迷いしながら南国市に戻り32番へ。9時過ぎに着いた。

 

札所三十二番、八葉山(はちようざん)、禅師峰寺(ぜんじぶじ)。

行基菩薩が開基。十一面観音菩薩。眺望よし。

梵鐘の下に穴があるのは響きが良くなるためとか。

海抜5メートルから急坂を登り、標高82mほどのとこ。

高台にあり航海の安全を願い聖武天皇の勅願で開山となった。

下山したら巨大な十一面観音像あり。

住宅地やトンネルを越え海を目指す。

高知県営フェリー種崎渡船場に11時到着。

オジ4名で分担し粛々と乗降をとり行っていた。

自転車ごと乗るおじおば一人づつとワシ。

わずか5分とはいえ無料だしテンションあがる航行だった。

自転車のオバが追いかけて来て、揚げ天をお接待。

どこから?私も初めて渡船乗ったの。頑張ってね!と励まされ嬉しい。

ありがとうございました。

高知のお酒で一番初めに覚えたのが酔鯨。

ヒレ酒のような香ばしい香りが好きだった。その本社蔵があった。

長浜蔵というらしい。あぁ…寄りたぃ…拳を握りしめ前を通り過ぎた。

 

ほどなくして11:40ごろ到着。薄っすら桜が咲いていた。

 

札所三十三番、高福山(こうふくざん)、雪渓寺(せっけいじ)。

815年、弘法大師開創。臨済宗妙心寺派。

揚げ天とともにランチ。美味しい。船に乗る前の店先で揚げていたものかも!

次の船に乗ってきたであろう遍路達が続々やってくる。

オランダ人のカップル。身体が大きい…。

日本のお宿ではご苦労だろうな、などと余計な心配。

18番恩山寺の宿で一緒だった神奈川から来た8周目のオジと再会。

明後日の宿も同じ。

嗜好は合そうだけど、ずっと行き先が同じなだけに気恥ずかしくもあり。

挨拶もそこそこ、そそくさと出発。


ひたすら春の道をゆく、ゆく、歩くのみ~。

14時過ぎに34番へ。

 

札所三十四番、本尾山(もとおざん)、種間寺(たねまじ)。

空海が開創したとき、唐から持ち帰った五穀の種子をまいたことが寺名の由来とか。

四天王寺を建立するとき、百済から仏師を招いた。

帰国途中に時化にあい避難。その時に刻んだ薬師如来がご本尊。

抜きつ抜かれつしていた欧米のおばあさんがいた。

ザックを預けたのか、身軽に自転車に乗り換えていた。

臨機応変に楽しんでいていい感じだったな。

本日はこれにて打ち止め。

晴れて北風が和らいだのでペースアップできた。

本日のお宿、はるのゲストハウスへ向かう。

途中、遍路ルートから外れ地図を片手にしていたからか2回もジモティーに35番の道へ修整される。

AIよりも丁寧で正確ではないか。

 

畑で機械の後ろにて何かをついばむ猛禽。かっこよ。

宿はまだ開いてなかったので荷物を置いてスーパーへ。

店先のベンチで足をじっくり揉み、買い物をしてチェックイン。

 

オバアの寛容な説明や宿の簡単な決まり事を聞く。

隣に住んでいるようで、すぐに居なくなった。

あとはご勝手にどうぞ、な。

自由にさせてくれる所は人気出るんだなぁと分かる。

素泊まり3300円(平日)洗濯300円。半畳のシャワー。男女混合の二段ベッド相部屋。

通し遍路のオジ(熊本の元公務員。67歳2周目)から色々と遍路やカミーノのことなど伺う。

居間に炬燵。お湯、菓子、などあり。

そこで天気予報などテレビをつけながら歓談。夕飯。

ミレーやざぼんなど振る舞いがやってきた。オバアに感謝。

 

連泊の若者(お仕事?)が夜半に帰宅。感じ良し。

明日は今回の旅の中で一番移動距離がある日。

早めに休もう。

本日もありがとうございました。楽しかったです!

 

区切りお遍路第二弾、七日目 北風と陽だまりの田畑

民宿喫茶きらくの気楽な滞在は、生歌生演奏、朝晩2食と

「良かったら食べてや〜」で持たせてくれた塩むすび沢庵2切れゆで卵付で7800円なり。

とっても寛げた。感謝感謝で名残惜しみつつ7:30出発。

夜半からの強風は弱まらず、雲を吹き飛ばし快晴の空をもたらした。

菅笠は煽られ被れず。本日はやや内陸に入り農道と小道を行く。

 

耕された畑と水を張った田んぼは、種や苗がやってくるのを今か今かと待ちわびているように輝いている。

水につけられた籾、軽トラで運ばれる幼い玉苗。早い作付だ。

 

四国は年に2回は野菜もお米も採れていたそう。

農作業に思いを馳せながら着いた29番。

 

札所二十九番、摩尼山(まにざん)、国分寺(こくぶんじ)。

行基が開祖。千手観音菩薩。

空海が星供の秘法を厳修した以来、星供の根本道場となった。

養生してある苔の花壇から牡丹と芍薬が幼い芽を膨らましていた。

チラホラみえるのは車遍路の日本人が多かった。サクサク歩く。

 

小川の端で米やコーン、マカロニなど弾けさせたお菓子を売っている人に会う。

この道53年。機械は九州で作っていると。コーンを買う。

おひさまは暖か、北風はピープー。

風はやんだり吹いたり。

 

札所三十番、百々山(どどざん)、善楽寺(ぜんらくじ)。

弘法大師が開祖。阿弥陀如来。


こちらは三十番霊場の開創寺であったが、廃仏毀釈で廃寺となった。

その後、高知市洞ヶ島の安楽寺が三十番を担っていた。

(二か所㉚があったことになるね・・)

昭和4年に再興され、平成6年に善楽寺だけに三十番が決まった。

そして安楽寺は善楽寺の奥の院となった。

寺に歴史ありだな。

巨大な十一面観音石仏。

開けた明るい空間は風通しがよく、駐車場からもすぐ近い。

ちらほら人が訪れ、神社とセットで御参りなさっていく。

話しかけられたり、交流も楽しい。

 

吉田さんの叔父、昭六さんが納経所の女性の方とお知り合いとのことで尋ねた。

本日の受付はお坊さん(男性)だった。

「伝えておきますね〜、うちは私以外は(住職も)女性なので誰か知っておられるでしょう」とのこと。

 

外で休憩していたら、善楽寺が出している「仏はんの名言」みたいなカレンダー?とコーヒーを持たせてくださった。

お坊さんからお接待・・ありがたや…合掌。

 

塩むすびランチで元気を取り戻す。

寺の隣に土佐一の宮があり参拝。

御祭神は味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)、一言主神(ひとことぬしのかみ)。しなね様と呼ばれてる。

 

拝所は神楽殿のように長広く、その奥は朱塗り。ちょっと神社ぽくない。

5世紀ごろ建立され古刹感あり。気が良い。

ぽくぽく歩いてると、駆け寄ってくる女性あり。

高知のお菓子詰め合わせみたいなおやつのご接待。有り難し。

見ず知らずのおばはんにお菓子、渡す??

もう本当に有難い事ばっかり。

 

全国の人を信じられなくなった引きこもり諸君、

お遍路に出よう!一緒に歩こう!!!

 

 

オレンジの路面電車に出会う。懐かし。


本日のお宿「ホテル土佐路たかす」に荷物を預け31番へ。

 

ここはとても楽しみにしていた。牧野富太郎の植物園を抜けて行くから。

咲いてる花は少なかったな・・。広大ゆえ回りきれず。

 

 

札所三十一番、五台寺(ごだいさん)、竹林寺(ちくりんじ)。

行基が開基。お四国札所ではここだけの文殊菩薩。キタ――(゚∀゚)――!! 

我が家の(ネパール製の)文殊さんを心に念入りに読経。

すがすがしい・・・

五台山 竹林寺|竹林寺を知る|当寺院の歴史と境内のご案内

 

さぞや竹林に囲まれた…と思っていたら言われは違っていた。

聖武天皇が唐の五台山(文殊菩薩の霊場)に登り、教えを受けた夢を見て、

行基にそれと同じような地を探し伽藍を立てよ、と命じた。

そしてこの地が選ばれ724年開創。

 

苔むした空間、幅広の石段、五重塔、庭園、など想像したよりご立派だった。

 

大師堂もとても立派。

三重塔だったのが明治32年台風で損壊。昭和55年に五重塔で再建された。内陣には大日如来。

 

本日はこれにて打ち止め。

竹林寺、季節を変えてまた拝みにまいりたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下蛇足。

 

のろのろとホテルへ戻る途中、こころに決めたことがあった。

 

今回の遍路を終えた後、都内で旧友の挙式参列を予定していた。

穴の空いた靴や汚遍路の格好は洗濯したからといって変えられない。

しかし最低限、できる範囲で小綺麗にしたい欲があった。

 

明日からは海岸線をゆき、とても美容院は見つからないだろう。

今しか髪を切るチャンスはない。

そして閉店10分前のこじゃれたお店に電話をかけ談判。

 

私の半分も生きてないような可愛らしい美容師さんがカットをしてくれた。

名刺もくださり、会員カードも作ってくださった。

お遍路のお話も興味を示して聞いてくれた。

 

ありがたかった。

さっぱり心身を整えて明日以降に備えるのだった。