お彼岸には高野山にあがることに決めてから
血の系譜には甘えてお盆も外して会いに行くことが多くなった。
目をつむるとかすかに感じるルーツのかけら。ああーうれしい。
繋がっていてくれることを、肉体レベルで感じられることは、この世を肯定してるよう。
父のお墓を参って
本家の墓がないことも確認し
旧友との欠かせない語らい
母方の血に会いに行く
こうじゃなきゃならない、という考え方があって
そのもたらす幸せや安定もしっかりつかみながらも
新しく生まれてくるいのちと紡ぐ時間のあいだに
まったく同じものを引き継がないために生じる
自分で産む、自覚のない、なにかに
流れていくものを眺めている傍観者として
腹をきめて受け入れたい、向かい合いたい、でも時々逃げたい、とー
そういう甘さや緩さも、許せる自分にニンマリできて
これふが生きている手ごたえなんだなーって
ふんわり飛ばすわけです。