together with global breathing

こころが動いたことを綴ります。永遠に地球が平和でありますように。

能登地震、二か月

図らずも節目節目に訪れている。

 

避難者さん方々、あまり詳細を話せないため

感じたこと、思ったこと、そんなことしか残せないけど

自分記録なのでよし、としよう。

 

 

月一で4日ぐらいしか時間が取れないけれど、

自分が健康に余裕と緊張感をもって笑顔で行けるとしたらこのぐらいでしょうか。

身の丈でまいりましょう。

 

今回は違うところへ入ることになった。

輪島も広いね。

金沢からの往復をまた素敵すぎるナースに頼ることになり

お話を伺い、温かいお人柄を感じ頼もしくじわっと嬉しく。

 

のと里山街道はどんどん整備されていて

少々の段差は残っても、車で安全走行できる距離が伸びてきた。

それに伴い、きっと多くの方が行き来できるようになるだろう。

 

道路工事をしてくださっているかた、

検問以外でも要所要所に警察車両。

行きかう自衛隊の車には手を合わせ

みんなでこころも物資も時間も技術も傾けていることを実感する。

 

道路がぺっこり凹んだり流れていったあとに

ガードレールと支柱だけが宙ぶらりんで浮いていたり

巨石や土砂が土嚢でせき止められ

そのわきに道路を拡張していたり

見たことない光景の横に

即席とは思えないしっかりとした道があった。

ありがとうございます。

 

 

今朝は4時起きで準備をし、新幹線経由で運ばれてきた。

気合充分、着いたさきで聞いたのは夜勤だよ、ということ。

 

現役バリバリなら承知!と仮眠に入るのだろうけど

小市民の私は、どんな人がどんな風にお暮しなのか名前も伺わず

夜中にコンバンハというのはあまりに失礼ではないか・・・

の思いで中途半端に日勤を経て夜に入った。

 

日勤には滋賀からボラさんがお一人来られており

めちゃめちゃ綺麗な雰囲気、オーラ?をまとった方で

すっかり皆さまと打ち解けてらしたので何だか心強く感じた。

(夜はいらっしゃらないけど)

 

施設の責任を預かっている方(以下Yさん)も

ここは生活の場です、自由にされている、見守ってほしい、

とはっきり仰られ

介入によるADLの低下や依存は避けたいということを理解。

かつ、

安全第一で「待つ」ことをテーマに授けていただいた感じがした。

(急遽一人夜勤になったけど、Yさんのフォローで助けられ)

 

 

災害から二か月というのは

おぼろげすぎる先の見通しが見えてきて

現場全体、集落全体、家族単位で

なんとなくこういう方向に舵をきろうというか

非日常の夢から覚めはじめる頃なのでしょう。

 

避難されている方々に生じる葛藤というのは健全な反応。

カッと来ても、一時的に認知が後退しても、

ぜんぜん普通なんですよ。たぶん。

 

被災してもサポートする側という方々に

どっと疲労や燃え尽きる感情が起こることも

それは皆さまが健康であるからなのです。

 

自分らしからぬ炎に

絡め取られることは戸惑いや恥を産むかもしれませんが

どうかどうか、そのままそのままで。

 

あちこちでポッと立ち上がるホットスポット

私たちが人として関わっている証拠。

きっとこの熱量は未来からのいざない。

 

全てが初めましての場に戸惑いと希望と

いとなみ、というものを感じながら朝を迎えたのでした。

 

業務としては医療からまるで遠く

フロア清掃、傾聴、トイレ掃除と排泄見守り・一部介入、更衣、配膳、など

誰でもできるようなことばかりで

つくづく専門性を全て失っていることを教えられる時間でした。

 

とはいえ寄る歳には勝てず

5Gぐらい重力が増した体を引きずってトレーラーハウスで眠りこけるのです。

 

ああ、前回「夜勤が好き」なんてのたまったゆえに

神様だか派遣先だかどなたかの潜在意識に潜り込み

自らにかつてない勤務を授けることとなりました。

 

 

三夜連続の夜勤というのは、

明けの翌日の夜から出勤ではなく

あけたその日の夜から始まりました。

 

耳を疑う余地もなく

それほど人手がたりないんだわ・・という理解で腹をくくり

とにかく皆さまの安全確保と

快適な睡眠をもたらすために

ふわりふわりと夜通し居ることに努めました。

 

二夜目は若い衆が一緒ということで、

仮眠もしっかり取れる二人体制。

日中に転落?とおぼしき「ベッドサイドに座っていた」事例の方に注視しつつ

闇が深まるにつれ

らんらんと眼が冴えてくる方々と

ストーブを囲みながらかみ合わない会話を楽しむのでした。

 

夜明け前が特に冷え込み

暴風と雷に

霙が混じる朝というのは

よこしまなものをすべて払ってくれる儀式のようで

 

わずらうものを手放せる心に届けとばかりに

ごうごうと私たちの仮の住まいを跨いでいくのでした。

 

 

ナチュラルハイな心地に

新しく来られたボラさんと寝所でお喋り弾み

出あう方々皆さまに備わっている神聖に励まされるのでした。

 

通電している地域であっても

コンテナハウスなど電気が来てないところもあって

そこに本部からケーブルでコンセントを持ってきてくれた若者。

外よりも極寒だったお部屋にエアコンを稼働させてくれました。

 

温かいってすごい。

顔のすみずみにまで血が巡る。

段ボールベッドと薄いかけもの、借り物の寝袋でも

寒さで目が覚める(生存本能か?)状態では休めなかった。

ありがとうしかないです。

ありがとう。

 

そして気を失うように眠りに突き落とされ

気が付けば夜。

のろのろと半分溶けた体で出勤するのでした。

 

 

三日目の宴は

ちょっぴりお通夜のようでした。

 

今夜も一人夜勤かーい、という私の絶望のかけらと

今夜でボラが最後なんだな、という

神寂しさをもつ御方と

これからもまだ毎日が同じように繰り返されるという方と

なんとも交じり合えない空気感がないまぜになり

かつてない関係性と思いの渦に

どのように箸を運び食を共にしたらよいのかわからないまま

カオスは濃厚に展開されていったのでした。

 

日中に、三度目の部屋や模様替えが行われ

R90メンバーはどこが家やら部屋やら寝床やら忘れてしまい

「私はなぜここにいるのでしょう・・」という深遠な問いも。

 

消灯が20時前というのはある意味健康的でもあるが

混乱したパイセンはふらふらとダイニングをさ迷うやら

歩行訓練らや出ないけどトイレやら

変化に次ぐ変化をどうにか消化しようと必死でした。

 

かつ日勤を終えたボラが集まって

ひそひそとでもゆんたくをしていたら

それは色々と動くもの気になることも生じましょう。

 

そうそうにお引き取り頂き眠りの環境整備。

しかし巡る思考は中々収まらず

日勤の男子は23時まで、Yさんは2時まで、

夜勤フォローに残ってくれたのでした。

 

その間に畳の上りに綺麗なお布団を準備頂き

電気も消してくださり

重力からしばし解放される時間を頂けたのでした。

 

起きだしてみても

ほぼ必要な業務を終えていて下さり

夜明けまえから目覚めてこられる方々へ集中できたのでした。

 

 

かつてない勤務ではあったけれど

たくさんの方々に支えられてしまうラッキー。

ボラにはいっても助けられているというのはこれいかに。

 

大音響の雷鳴をこえやってきた眩しい朝陽に目がくらみつつも

今回はトークセンがお一人も施術できなかったけれども

こういう経験が命を伸ばしてくれているように思うのでした。

 

 

今回も、たくさんたくさんお世話になりました。

ありがとうございました。

 

 

 

 

今回見守らせていただいた方々は

本来はお一人かご家族でお暮しになっていた人ばかり。

 

片方の施設では

点滴や食事介助や

床に段ボールベッドやエアマットで横にならざるを得ないADLの方が集い

入院5秒前ぐらいのハラハラでお過ごしであった。

 

私が夜を過ごしたこことは機能的に分け

なんとか自力歩行ができる、移乗は軽介助、食事は自力でとれるという

いわゆる高齢者避難所の様相であった。

 

そういう方々にも

いろいろな人生があり

なかなかその先の行き場所に待ったがかかるのか

ここでしばらく逡巡する、を

ご一緒したような時間でした。

 

 

夜が人の影を引っ張り出すように

奥底に感じていても見ないようにしてきた感情を

素直に出せるときなのかもしれません。

 

 

餅ふたつぅ、お鍋にかけてあっからぁ

見にいかんならんろ

 

あの車(時に土地、時に墓、)は自分のやけど

訳合ってえ、交渉しなくてはならんからあ、(人を)待っとんがよ

じゃ、みにいこっか(時に電話しよっか)

 

ええ、ここ、あたしの布団じゃないがけ?
(と言って、仮眠布団にふかふかと埋まっていた方…可愛すぎ)

 

ここどこけ…?なんで私ここにおんが?

地震…?へえ、なん、しらなんだ…

 

 

どれも懐かしい方言で胸を締め付ける。

 

生き様は死にざま。

 

こうやって生きてきたことをを整えていくのでしょうか。

 

 

だれもが行く道。

大先輩の皆さまのように

丈夫な身体を持ち、辛抱強く、誇り高く、おちゃめで愛されるよう

歳を重ねていきたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう少しおちついたら

宇宙科学博物館に行ってみたいな。

本物の宇宙船がある宇宙科学博物館|コスモアイル羽咋