竹かんむりに旬、すばらしいネーミング。
今年もゆでたい衝動を抑えきれず、夜から筍作業を始めてしまいます。。。
お米のとぎ汁をとっておけばよかったとか、この大きさなら3つはいける、とか
八百屋とスーパーを物色しながらも毎年ゆでてあるのには惹かれない。
いつか山に入って自分で採ってみたい野菜のひとつ。
竹かんむりに旬、すばらしいネーミング。
今年もゆでたい衝動を抑えきれず、夜から筍作業を始めてしまいます。。。
お米のとぎ汁をとっておけばよかったとか、この大きさなら3つはいける、とか
八百屋とスーパーを物色しながらも毎年ゆでてあるのには惹かれない。
いつか山に入って自分で採ってみたい野菜のひとつ。
人込みは好きじゃないけど、あまりに誰もいないのもさみしいもんで
花見のときは覚悟して出かけたけどすさまじい行列だった新宿御苑。
新宿門じゃなければ並ばなくても入れるのだと学習、しっかり記憶。
ここは日本じゃないかも、外国語が元気に飛び交う芝生広場。
花見って海外の方にも普通に楽しい行事なのかしら?
お天気も上々~ 大地の気が上がりに上がって蒼空まで突き抜けていく
こんな自然の気にさらされたら人だってもちろん陽気になるでしょう。
制限のない延びっぷり。圧巻のスズカケノキ。
水面に枝を落とし、惜しげもなく花開くソメイヨシノ。
吾、生きん 吾、咲かん
ボケとカイドウの競演
食べてしまいそうなほど柔らかなモミジ
イヌシデはとても背が高くて接写できないけれど、大きくたなびく黄金の花々。
柳の新緑のたなびく優しさに、しばらくとどまっていた。
ウイローの学び…
誰も何もひがむ必要はありません。
あなたにあるのは、ただ柔軟性に富んだ忍耐力。
色とりどりのパステルカラー
地球が外に向けて放射するエネルギー
生きてていいのよ、ずっとね
古くは平安時代にまでさかのぼるらしい、家紋の起源。
他者と自己を、同族か否か、見分けるためのシンボルに過ぎなかったものが
時には権威を表す象徴にもなった時代もあった。
関西には女紋という概念があり、嫁いだ先でも実家の紋を使うこともままあると。
そういう風に使うんだと聞いていた。微妙に関西より?
母方の紋は七宝に花菱
花菱は優美な家系に多いとか・・・瓦屋だけど・・
実家は中陰鬼蔦(ちゅうかげおにつた)
蔦は繁殖する意味もあるとか。とがっているから鬼、なるほどね。
どっちも自然紋、植物紋、なんとなく納得。
ルーツを詳しく知ろうとすると切りがないけれど、シンボルへ憧れがあったのかなあ、と
昔の人へ思いをはせてみる。
今年は寒さも手伝って桜の花期が長い。
こういうときには声をかけてくれる人がいるもので、普段は入れない場所へも足を延ばした。
日立中央研究所庭園 敷地は東京ドームの4.4倍(こう書いてあってもよくわからんけど広い)の広さに
豊かな森を残しながら美しく手入れされた木々が。
野川の源流、湧水をもっており池には鯉も白鳥も優雅に過ごしていた。
国分寺の名産品を売るブースもあったり、小さな桜フェスだった。
春と秋の一日だけ公開される。
だから順番に咲く花々を愛でることは出来ないけど
広大な敷地は静かな大地と水の気に満ち満ちていた。
開園時間に入って、その乱されていない空気が心地良くてゆったりと散策できた。
エントランスにあった榊の香りが、入園者を祓い清め、帰るころにはみんなが穏やかな笑顔になっていた。
同行者、あまりに萌出る気を充電しすぎて、頭がヒートアップしてた・・・大丈夫だったかしら。。
イヌシデ。
ホーンビームの亜種。そばに大木がないのでのびのびと育っていた。
ひかりがもうすこしあったら、黄緑色の新緑が尾状花序がきっと風になびいて煌めくことでしょう。
その花を知ってから、春先にはよく見かけるようになった。
知るということは、そっちに意識がうごくということ。
そこへ波長が合うということ。
花見の後、友人と別れさらにぼんやりと歩いていたら目に飛び込んできた。
毎年、必ずであえるようになってきた。
ハナニラの群生とは全く別物の光をはなっている。
葉の陰に隠れていても、開花していればすぐにわかる。
しかしつぼみの時はグリーンに紛れてしまう。
ひかりが最高潮に達したときに、あっという間の速さで開き切り、ピークを過ぎたら店じまいする。
エッセンスへ姿を変えたら「できたてのキャベツ料理のような甘いにおいを放ち」
「冷めると舌にぴりっとくる強い味も出て、輝くような黄緑色になる」
( 「バッチフラワーレメディー 植物のかたちとはたらき」 より抜粋)
ばらばらになった私たちをしっかりとつなぎとめる
ベツレヘムの魔法を花束で届けたい。