together with global breathing

こころが動いたことを綴ります。永遠に地球が平和でありますように。

死ぬ前に死ね

スーフィズム(神秘主義)

イスラム教における神アラーと一体化するための祈りと踊り、清貧と高潔。

スーフィーは多くの詩を書いている。

その中の一節に「死ぬ前に死ね」とあった。

 

過酷な修行が美学とされる流派もあるなか、生きながら死ぬ覚悟を問うたものか。

ひたすら神と合一のために物理的な我欲を捨て行にいそしむための言葉か。

生きながら神に限りなく近くなることが生まれてきた目的なのだろうか。

物質のまま概念になることが誓願であったか。

スーフィズムについてはちょっと本を読んだだけしか知らない。

こねくり回して考える要素も持ち合わせてはいない。

 

 

仏教では死ぬ前に死ぬことができる。

 

人が亡くなったときにお坊さんが呼ばれて、すべての人に戒名を授ける。

その時に得度をさせ、あの世に渡らせるため新しい名前を与える。

この世の俗名を捨て、新たなる旅路のために。

 

生きている間に得度をすることで現世の名前を捨て彼岸に渡る。

そして戻ってくる。新しい名前で。

この世の衆生を救うために。

 

これぞ大乗仏教の醍醐味。

肉体をもって菩薩行にいそしむこと、

肉体をもって死んだあとの生きている間にしかできないお役目。

 

スーフィズムの起こりは8世紀中ごろとのこと。

大乗仏教仏陀の教えの拡大解釈といわれつつも広がったのは紀元前1世紀。

密教に近づいていくのは6世紀すぎといわれている。

 

イスラムのながれにも仏教を感じるとことができる。

 

何が本当か

かくも複雑なこの3次元世界。

 

どんな生き方だっていい。

そして物事の定義はなんだっていい。

 

 

死んだ気になれば、たいていのことはできそうな気がする。

明日の生が約束されないときにこそ

本気で生きることができるのかもしれない。

 

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スピンオフ 201708南阿蘇

空港に降りた時から濃厚な空気が出迎えてくれる。

まだ直立する緑の稲穂をゆらす風、たっぷりと湿気を含んだふわふわの大地、頭に雲をいただく山並、あふれんばかりにわきだす泉、

触れて感じるもの、目に飛び込んでくるものすべてがゆるがない。

これが「美味しい」ってことなんだなあって、豊さ。

 

もうなにもいらないんじゃないかなってくらい。

 

 

朝一番の飛行機で到着し、その足でリクエストの幣立神社へ。

ライオンズゲート新月のムードを残す23日に、予定通り行われたのか五色祭。

前回の祭りのことを思いだす。

この活動のきっかけになった九州観光はあちこちの寺社仏閣巡りからだったなあ。

 

ナビ子にしたがってまんまと通行止めの道路に導かれ、方ちがいをしたまでよ~と迂回していく道中は

しだいに雲行きも怪しく口数も少なくなっていき、なんか重いわね~と。

 

参拝の方が途切れず、でも大祝詞も無事にあげられ、湧水もしっかりいただきました。

おーなんか無性にすっきりしたぞー。 でも右腰がきしむんですけど~ やめて~。

 

もりもりトクセン、オイル、トクセン、トクセン・・・ なんという充実感!

頭からっぽでも自然と手が動くもんなんだなあ、感じるままに、かあ これがフォースかしら。

いつも共にあります!

 

今回はレンタカーがないので歩いて一番近い温泉へ。

意外と坂があったり雑草があったり、20時から信号が点滅になったり、闇夜の巨木は昼よりも何倍も大きく見えたり、面白い発見だらけ。

30分歩いたら全身蜘蛛の巣にからめとられていた。

無数の巣をこわしちゃったなーごめんよー。歩いている人だれもいないもんね。

帰り道も新しく張ってくれた巣とともに。見えんから避けれんな~。

 

水源と熱源に繋がってほくほくにパワーアップリニューアルした瞳に映るのは

新月で隠すもののない満天の星空。全天に星が・・・。

どかない雲かとおもいきや天の川だったといううっかり。

 

 

 

朝晩は羽織るものがあってもいいほどに。

空が少し高くなっているだろうか、心なしか早い夕暮れ、遅い朝。

 

ここにご縁が結べ、こころから幸せだと思う。

あらゆるラッキーが思考の前に受け入れてくれていた。

人と人がつながるときに人を介するだけではない何かを、超えた何かがないと結ぶことのない何か

 

あれこれ思い悩むことなど何もないのでしょう。

ただ生きてさえあればいいのでは。

 

 

今回はアルバイトの大学院生さんにもご協力いただいた。

洗濯ババアの毎晩なのですが、最終日だけはできなくていつも人任せ。

こまごました気配り、いつも優しい笑顔、サポートありがとうございました。

手作りレモネード、みなさんの心にも気持ちが伝わりますように。

 

 

はなも大きくなっていた。

草だけで角もしっかり育って。

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夏の花もぼちぼちしまいです。

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8月活動報告@南阿蘇

今年は例年になく暑いのよ~、と

避暑地のはずが猛暑仲間入りの南阿蘇でございます。

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今月は鹿児島からのセラピストと二人で訪問しました。

施術人数は20名。

植村さん、いつも手弁当で(今回は美味しい素麺!ごちそうさまでした~)

車ぶっ飛ばして日帰り参加、ありがとうございました。

 

ご予約はすべて埋めていただきキャンセル無し。(弥生さん、毎回ありがとうございます!)

近況報告などなど伺いながらのお時間はあっという間で

お忙しい皆様の貴重な1時間、こちらもほんとうに楽しみました。

草取りで虫にやられた~、子供と一緒に昆虫採集~、夏休みあすでおわりなの~、父ちゃんとスライム作った~(子供談、持参、)・・

ああーそうだそうだ、夏だった~と顔もほころぶ。

 

一年前とは比べ物にならないほど皆さんの体が触れただけでほどけていく。

オイルの施術も気持ちよい脱ぎっぷりでこちらが照れてしまうほど。

おわって見せてくださる目の輝きが何よりのご褒美です。美人度さらにアップ~。

 

「ん~まだコリは取りきれないわね~、残っているけどねえ~」とおっしゃりつつも

痩せた?っていうくらい見た目変わってますよーという方も。。ふふ。

どうぞ痛みではなく軽くなってるボディを感じてください!フォーカス!

 

なんというか、人生の躍動感みたいな波動をいつも感じる。

みなさんのありふれた世間話かもしれないけれど

伝わってくるエネルギーの「生きてる感」の半端なさ。

 

少しづつではあるけれど

まったく地震の前と同じようになるわけはないけれど

生きている、その実感をもって進んでいるんだって

意識の奥でみなさんがつかんでいてくださいますように。

 

 

 

 

Koishikawa botanical garden

雨の植物園はたとえ休日でも人けがなくてほっとする。

ポンチョの親子連れやひとりの若者をちらっと見かけるだけ。

ここには百年単位で成長している方々がいる。

ヒマラヤスギのパインコーンがまだ真っ白。

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夏の樹木に色どりを添えるのは百日紅

集中してみつめ続けると気持ちがざわつく。

レッドチェストナットのような雰囲気がある。

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とお目に見て白い霧がかかるように咲いていたのはエンジュ。

咲いた後に豆のような実をつけている。マメ科クララ属。クララって・・・

蕾が生薬になるそうな。槐花(かいか)っていう。

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水辺に茂っているショウガかなーと思ってみたらミズカンナという花だった。

クズウコン科(くずって・・・)ミズカンナ属

茎頂に円錐状の穂状花序をつけると。

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星について考える

本日早朝はペルセウス流星群の極大だった。

雲の上ではどんなシャワーが展開されたんだろう。

 

法則を知ること、法則に沿って読む、法則を逆にしてみる、法則を無視してみる・・

自由さを保証された場でのびのびと学べる喜び。

太陽魚座、月水瓶、東海豊さんの講座は未来からながれてくるよう。

 

本日からサビアンと三重円の講座がスタート。

今月からぞくぞく初級講座も開催。

詳細お申し込みはこちら。

http://the-serendipity.com/4corners/about

 

師を変えてみることは、新しい視点を手に入れることと同義。

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写真は天秤座16度、流された船着き場、のイメージ。イギリスにて。

 

トレーニング備忘録③

 海が見たくなって久里浜

フェリーへいざなわれるが今日もお寝坊でございます、千葉へは渡れませんよ。

いつか行ってみたいと20年以上片思いだったくりはま花の国へ。

ここは、ボランティアのお仲間が写真を取りにいくんだよーと薦めてくれていた場所。

どんだけハードル上げてもこのお天気平日、夏休みだから親子連れもいたが閑散具合は一人歩きにはほどよかった。

 

都内よりも何割も蒸すここは臨海。森もあって息が楽になる。

暗がりの道を横切る茶色い奇妙な群れ・・・中途半端な大きさの一軍は野生化したニワトリか。

なんとなく避けられているのでこちらも歩みに気を遣う。お邪魔しますね~。

鳥の?一家をやり過ごすとものすごく人なれした猫が毛つくろい。

 

展望台でしばらく深呼吸して海を眺める。

霞んで遠くは見えないけど潮の香り、汽笛、それを眼下に臨むのは心安らぐ。

少し晴れ間がでて、多種多様な蝶がひらりひらり、湿度に負けじと花から花へ。

蝶は好きではないが遠くから目の端にとどめる程度であれば素晴らしい自然の一部。

 

更に歩いていくと、全県を代表する樹木が植えてあるエリアに。

おお、久里浜で全国の代表者に会えるとは!とわくわく。

・・たしかに、皆さんしれっと育っていらっしゃいましたが

沖縄代表の方と北海道代表の方を同時に植えてあるのはちょっと奇妙な感じがした。

元気いっぱい雑草も生えていて、草取りも大変じゃ~と思いつつ道なき道をゆく。

そして、北陸エリアで野兎を発見。

さらにリスとテンも発見。

生きものが豊富なのね・・とワイルドな方にも出会えた喜びをかみしめる。

 

さて「花の国」であるので花をみないと、と夏の代表格ヒマワリを見に行った。

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ミツバチが一心不乱に花粉を集めている姿に心打たれる。

こんなに足に重りをつけるかのように・・・と彼らの涙ぐましい働きに想いを寄せる。

 

ハーブ園はほとんどヒマワリに占拠されていた。

窓が全部あいている温室には矢車草など。

足湯広場は子供と若い奥様とおじさまおばさまで賑わっており、そっと立ち去る。

 

田んぼかとみまごうコスモス広場は立ち入り禁止にされ、除草などお手入れの真っ最中だった。

これを維持するのは本当にご苦労だなと思う。

 

どこがトレーニングなんじゃというようなウオーキングもけっこう歩いて足が棒に。

ペリー公園と海岸までと思ったら雨が降ってきて打ち止めに。

 

 

楽なほうへ流れるこの気質をおもうと、やっぱり運動は好きではないと認めざるを得ない。

トレーニングは苦手だが、大自然が好きで好きでたまらない!がぴったりかな。

 

トレーニング備忘録②

とにかく起きられない。

体に従っていると昼夜逆転生活になってしまう。いかん。

いかんけどまた寝坊し、山に行くのにお昼出発。

 

 おなじみだったのに、久しぶりに大山。

お空の具合と伊勢崎についた時間、そして体力を考えても頂上は厳しい。

空の水筒を2本もって今回はお水取りを無理のない目標に。

あわよくば途中まででもいってみよう、夫婦杉ぐらいまでとか。

 

バス停で声をかけられたお婆さん、めっちゃイケてるカメラをさげ小さな滝を撮りに行くんだとか。

でもスマホで撮った作品を見せてくださった。滝、花、虫、・・スマホのほうがとりやすいんだろうなと。

家から見事な富士山が見える秦野にお住まいなのに

「山は嫌いなの~」と被写体にはしないんだとか。日常ですしね。

あれやこれや、バスに乗っている間に曇天から雨がこぼれてくる。

車内で合羽へ更衣。蒸すわ~でもなんだか肌寒いわ~。

 

終着駅では本降りのなか爽やかにお別れをして坂を上がる。

一緒に登り始める人はいない。

今日はご縁日でもなんでもない日。参道も静か。

ケーブルカーの駅を過ぎて里山の道をゆくころには蝉とカジカの声だけになっていた。

 

歩みは同じスピード、登りも下りも同じ、足の裏がしっかり大地をつかむように

息があがるたびに深呼吸をして胸郭を意識して使う

全麻ってどこまで呼吸抑制がくるのかしら、意識してできないことになるなら

どこまでトレーニングしておいたらいいのかしら、など取りとめのない思いがよぎっていく。

下肢の荷重がかかっている筋肉にも想いを馳せる。

連動する関節、筋、腱、ここをつかうとここがこうだな、という動きに集中していると

汗が垂れ流れてても気にならなくなりいつの間にかお不動さんの階下にいた。

 

最近好んで読んでいる不動経の御眷属さまにニコニコこんにちは。

雨の重みで頭をさらに垂れる紅葉にも優しくタッチ。

 

先客のご夫婦がいるだけで静かな境内は雨音に満ちていた。

汗と雨で内も外もずぶ濡れの私はさすがに上がるのはご遠慮し、脇で拝ませていただく。

どうもご夫婦がお護摩のご祈祷を依頼している様子でちょっと期待。

初めて雨降山大山寺護摩を間近にみることがかなった。

ご住職はお一人で法螺貝、太鼓、お経、護摩、などこなされていた。

そういう方法もあるのか、と目から鱗のことも心のノートにメモを取る。

護摩の最中から寺男(おばさんだったけど)がつぎつぎとほかの仏さんのお水など回収し始める。

思ったより時間がたっていて、お寺をしまう時間になるんだ、と時計を見て焦る。

 

護摩の終わりに退室し大山阿夫利神社へと向かった。

寺をでてすぐに霧に巻かれた。

これは雲?白いうねりのなか一歩上がるたびに白みが濃くなる。

その白さを一呼吸ごとに体に取り入れる。

しみじみと肺から血液へ溶けていく様子をイメージすると内も外もすべてが塗り替えられていくように思えた。

どんどん精気がみたされていく。

吐く息すら白くなりそうなのに、体はこんなにも熱を帯びて。

しろいしろい自分に循環されていくような快感が脳に走る。

取り込んでいるのに取り込まれている、境界のあいまいな世界へ踏み込む歩みが

しびれるような喜びに変わっていく。

何者でもないものになっていく、何者でなくてもいい、自然と顔がほころぶ。

 

遠雷が近づき、やはり雲の中なんだなという認識があった。

稲光は見えないけれどびりびりと産毛が立つような感じがする。

頂上の奥社には大雷大神がお祀りされている雨降山。

そう、この山はとことん湿っぽくて普通なのだ。

 

神社前の売店エリアに出た。

青山か清澄にありそうなおされカフェができていて子供があそんでいた。

若いおかみが小さな声で「お疲れさまで~す」という。

大山詣り~という登りが何本も連なっていて、お詣りが文化庁認定の日本遺産だということがわかった。

 

このころには下界は雲海につつまれ、まるで天空の神社。

雨も小降りに、ほどよい風が吹きおろし体を冷ましてくれる。

しかし見上げる山は雲に覆われまったく姿をみせてはくれなかった。

ちょうどこの高さだけが息継ぎみたいに雲の切れ間なのね、ありがとう、と。

 

参拝を済ませてからお水をいただいた。

緑龍の口からほとばしる、とろっとしてまろやかなロックウオーター。

うわー、生きかえるーと、ほどほど足腰の疲れに染みわたる冷水。

 

頂上への登山口で、次回お邪魔しますという約束をして本日はこれにて打ち止めとした。

 

 

なんで帰り道ってこんなウキウキなのかしらー、と足取り軽くぴょんぴょん石段を下りた。

滑る滑る、でもうれしい。ここまででも登れたことがうれしい。

 

石が飛んだ!とびっくりするくらい大きな艶のあるウシガエルヒキガエル

体の何十倍もびょんびょん跳ねて河原へ消えていくトノサマガエル

米粒大の?蛙もそれなりに蛙

一日で一年分ぐらいの蛙をみた。蛭も体温をさがすようにくるくる回っていた。

 

下山するたびに雨脚が強くなっていった。

街灯がともり夜のとばりが迫っていた。

 

 

そんなバス停50Ⅿ手前にリュックに帽子、だけど傘がない、そのビニール袋に穴を開けてかぶった奇妙なおばあさんが立ちすくんでいる。

問われる、「バス停はどっち?」。

 

その老婆のため早めにバス停にゆき、ヤンキー座りで煙草を吹かす運転手に時間を確認。

「16時に出ますよ!」

老婆は直視できないほど恐ろしい笑顔を浮かべ私についてきた。

そして同じ売店で違う野菜を買いバスに乗り込んだ。

 

町はゲリラ豪雨になっており、バス内で脱いだ合羽を着る意欲もなく

濡れることを楽しみながら遅延する電車で運ばれ帰路についた。