平成26年9月2日
義父には結婚して10年のあいだに何度会いに行っただろう。
毎年は帰省していないから数えられるくらい。
6月に癌がみつかるまではすこぶる元気で車を飛ばして帯広から札幌まで野球観戦にいくほどだった。
初めて紹介されたときも元気いっぱいお仕事をなさっていて
78歳ぐらいまであちこちから声をかけられ働いていらした。
部下や仲間からも信頼があり多くから慕われていた。
そのことがわかったのが葬儀の時だった。
妻を亡くして22年。十年以上付き合っている恋人がいた。
趣味は社交ダンスにゴルフ。カラオケもお上手だったと。
病気がわかったのは青天の霹靂で、とにかく手術だ!と意気込んでいた。
数年前に大腸がんの極初期のポリープを切除し、それ以降どこも悪いところはなかった。
だから今回もそのように治るものだと話す耳には本当の話は届かないものか。
転移もあり通過障害もあり、手術はできない、症状を和らげ経過をみていくしかない。
ほぼ無職だった私に何かできることはないですか、と尋ねたけれど
こっちは大丈夫だから(彼女さんもいるとのこと)、こなくていい、ととても明朗におっしゃった。
お見舞いに伺ったときは変わらずニコニコと出迎えてくださった。
ご自身が食べられないのに、北海道の刺身を切ってくださったり、煮物を作っておいたと、ビールもやって、と最大限のおもてなしをしてくださった。
夫はお休みを工面して帰省するが、仕事してきて、といわれると。
親はどこまでも親であるんだろうな。
なすすべがないとわかって、家で過ごすのが難しくなって入院してからおっしゃったことは
「死んだらどうなるんだろうな」
という言葉だった。
お義父さん、お疲れさまでした。
どうなりましたか?
ありがとうございました。