桜ど真ん中、連日の快晴に心躍る季節到来。
あれから3年、です。
セラピスト1名の訪問で21名の方にアロマトリートメントやトークセンを施術しました。
来てくださったみなさま、ありがとうございました。
また、いつもいつも変わらぬ温かい応援をくださる皆さま、ありがとうございました。
先回に増し、仮設から復興住宅や再建したご自宅へ引っ越されたとのお話を伺いました。
家をみてくれる大工さんを頼むということより、自宅までの道路が整わないと資材も運べない、書類がそろっていないと申請できない、仮設は今年の夏までだけど、こんな調子で間に合うのか、などなど。
想像できますか? 私は全くできなかった。
そんなこんな、まいど知らないことを知る訪問です。
ご予約が埋まらなかったのはホントは喜ばしい。
でもちょっとしたハプニングがあって、活動について改めて思うこともあった。
震災当時のことを同じようにお話されても、「涙はもう出んとです。一生あの光景は忘れんです。でも前を向いていくしかないとです」。
「もう3年、ですね。3年一区切りというけれど、やっぱりそう思う。」
「忘れることはないけれど、思いだすことも少なくなってきた。」
「新しく始まったこともたくさんある、前をむいていくだけです。」
「悪いことばっかりじゃなかった。いまはそう思う。初めてお話して仲良くなった人がたくさんいて、仮設を出るのが寂しい。前を向いていかなきゃ。」
この「前を向いていこう」という言葉は、様々な立ち位置にいる方々から同じように聞いた言葉だった。
どんなニュアンスで前を向いていこうって響いているんだろう。
季節は巡ります。
三寒四温といって温かくなっても寒がもどってくるのが春です。
一年の始まりは、行きつ戻りつ繰り返し、そのことが駒を進める助走なのでしょう。
寒さと闇をカウントして芽吹きを決める植物には、前とか後とかという考えはあまりなじまないのかもしれない。
寒さも闇も前進のうちなのだから。
朝には霜に縁どられた蜘蛛の巣や新芽。
ゆっくりと、太陽の時間がこと始めを告げてきます。
戦に負けた城主とその家来を弔うために一心に行に打ち込み、菩提樹として植えられた。
周りは菜の花と芝生で開けた公園になっている一心行の桜。およそ400歳。
白い山桜は染井吉野より開花は遅め。落雷で6本に割け、うち2本が台風で折れ朽ちた。
たいがいの巨樹はそれなりの貫禄というか生命力を放っているものだが
周りはあまり樹木も多くなく、孤独で枯れた印象をうけた。
やっとこさ、お花咲かせましょう、でも満開の前に咲いた花が散っていきます、精いっぱいです、というかんじ。
大地のつき上げるエネルギーを体現できなくなった樹木、
平成と共に世代交代を温かく見送りたい。
このたび貴方に出会えてよかった。ありがとう。
そこが行場や戦場地だったとしても、彼とともにいたくてアース。
ひばりの賑やかなさえずりが高く高く遠くへ消えていった。
山の中腹にある温泉にいきたいので、途中のカフェで腹ごしらえに「だご汁」を注文。
「肉抜きでお願いします。単品で。」待っている間にオーガニックグリーンサラダがサービスで出されうふふと思っていた。
うっかり見落としていたが「赤牛だご汁」というメニューだった。
その出汁ががっつり赤牛のものであった。
気にしないようにしていたが店内とスープの臭いに完全にノックアウト。
残すのはダメだ、更年期発汗とともに全力で食すものの途中からさまざまな身体症状。
逃げるように店を出て反省。牛よ、美味しく食べられなくてごめん。。
むかむか吐きそうになるのを抑え全力でお山の温泉まで自転車で向かう。
坂道にすぐ負け大汗かいて歩いて登った。おかげで満開の山桜を花見。
山笑う、山笑う。
露天風呂から同じ景色が眺められる。圧巻。お湯はやや温かった。
目が覚めて、ああなんて清々しいんだろうって思う。
シャッとカーテンをあけたら野焼きした山が朝もやの中にあり、まだまどろんでいるよう。
これが静けさなんだよ、っていうような小鳥たちのお喋りしか聴こえない。
山の闇がおいていった甘い重さの香り。
光の当たったところからみるみる溶けてその緑をつややかに輝かせる。
光の時間がすぎ、山の端に太陽を見送って星々が瞬き始める。
新月を挟んだ滞在、手が届きそうなところに満天の星空。
街灯がなくても歩けそうなほどの柔らかなあかり。
お布団をひいて横になったとき、見上げた窓からこぼれんばかりに星が瞬いていた。
ああ、という嘆息しかでない。
こんな輝く空のもとでそっと眠りにつける幸せ。
何もかもが欠けてはならない。
でも何もかもがなくてもいい。
永遠の眠りもこんな気持ちで迎えられますように。