together with global breathing

こころが動いたことを綴ります。永遠に地球が平和でありますように。

助産院とPLAN75 その②

大人の課外活動を通じ助産師さんに出会った。

小柄で白髪のショートカットが似合うカッコいいこの方の手。

この手はどれだけの赤ちゃんに触れてきたのだろう。

 

初めて抱かれる手の厚みや温もりに思いめぐらせてみては、

ほう~っとため息がでるような気持ちになる。

 

お話を伺うと雰囲気は一変。

母体が出産に難しくなってきているということと

生まれた子が身体に合わない形で寝かされたり抱かれたりしているということと

孤立する母子への援助が届かない窮状を

現場から吠え議会へ陳情に何度も足を運んできたのに政治に届かない、という。

 

どこか一つを解決すればいいということではない。

いのちが継承されてきたように全部が繋がっている。

全体を見渡す意見を聞きながら

なるやはやで介入しなければならないだろう。

 

 

お話に耳を傾けつつ

なぜ彼女が助産師になったのか、その理由を思い出していた。

 

看護師として働いていたときのこと。

どんな職種にもあるリアリティショックのなかで、

治らずにどんどん死んでいく人ばかりを経験したと言う。

 

こんなことしていたらこちらがダメになる、

人が死なないような職場で働かなければと思ったと。

生まれるにかかわる仕事で自立できるとしたら助産師、との思いに至ったから。

 

やがて独立開院され

覚えられないほどの赤ちゃんを受け止め世に送ってきた。

お母さん方々への指導も現在進行中。

 

 

自分と真逆の発想で命にかかわってこられた方が

どんなところでどんな風に立ち働いてこられたのだろう。

 

助産院に初めて興味を持った。

 

少し無理を言って見学をさせていただいた。

 

 

 

清潔に整えられ、病院の匂いが全くしないお部屋は

お花やマスコットが飾られ

柔らかく差し込む日差しが眩しすぎない。

手縫いかと見まごうキルトをかけたシンプルなベッド。

年代物のエコー。

赤ちゃん用のおくるみや手作りベッド、小さな小さなピロー。

 

空調で快適な温度に保たれていたのにもかかわらず

お腹のあたりからうわっと熱くなって

なにかがこみ上げてきて

フラットな診察ベッドに横になってしまいたかった。

 

縁がなかったここに。

 

 

何人もの赤ちゃんが生まれ生まれ

おめでとう!っていう声がして

産声の振動とも相まって

床も壁も天井も

並べてある本やぬいぐるみにいたるまでが

おめでとうの証人なのだということを

ただただ受け入れるだけだった。

 

ここは生が生まれ始まる場所

その喜びと誇り

 

人生において生まれてくるほど大きな出来事はないのかもしれない。

 

 

 

死にゆくことを想う。

 

一度だけ

同席して見送ったご家族が

静かに手を叩き

おかあさん、おめでとう

と祝福して別れを告げた方に出会ったことがある。

 

そこには優しい哀しみと労りしかなく

永遠の別れが悲しくて悔しくて抵抗する涙はなかった。

 



 

 

その③に続く。