together with global breathing

こころが動いたことを綴ります。永遠に地球が平和でありますように。

助産院とPLAN75 その③

75歳以上が自らの死を選択できるという法案が成立し

その時代でどのように生きるかを問う作品、「PLAN75」を観た。

 

早川千絵監督は2016年7月26日に起こった

相模原障がい者施設殺傷事件による

生産性によって量られる命の是非を問うために

この作品を作ったという。

 

たまたま舞台挨拶のある回に時間があい

監督はじめプロデューサーらのお話など興味深く鑑賞できた。

 

明るく元気なさくらが78歳になるとこんな時代だった、

というトラさんがらみの感想は思い浮かばなかったけれど、

倍賞千恵子の言葉少なな演技が刺さった。

 

「もう少し、頑張れるんじゃないかって」

そう無理な笑顔で仕事になりそうな人に電話をしたり

ハローワークにいってパソコンの前で職探し。

ゆっくり選択肢がなくなり追い詰められていく。

 

この制度はないけれど

今この瞬間も高齢の方が職に就けないというのは現実。

蓄えも家族もないとき、年金で生活が賄えないとき、

生活保護を受け生きる道がある。

 

映画の中で保護申請を聞かれるシーンがあり、

その時は躊躇って考えるものの住まいすら危うくなる。

別の日に役所へ出向いたが本日受付終了。

炊き出しのスープを受け取る夜。

こころが揺らぎPLAN75に申し込みを決意。

 

こういう流れはとても自然で

そう考える人いるだろうなあと思う。

 

生保だけは嫌だというのはだいたい老齢の方。

一時的に生保でしのいで脱していくのは中高年。

生保にならざるを得なくなった状況で心を病み

障がい年金暮らしで何年、というのは比較的若い人もいる。

何十年の初老もいる。

 

いろいろあっても

みんな生きてここまで来ている。

這いつくばって墓場まで持っていくような体験をして

でも生き延びて、今一緒にここにいること。

そのかけがえのない人生にも疑問を投げかけているように感じ

静かに怒りが沸いた。

 

 

フィリピンから来た介護ワーカーの女性の子は難病で

高額治療が必要で仲間内から寄付を募る。

在日の仲間が温かく描かれ

日本社会の孤立と対比させられていた。

 

しかし彼女は「もっと稼ぎの良い仕事」を求め

PLAN75で亡くなった方の片づけへ転職する。

残されたお財布から現金が見える。

高齢者は若い人のお荷物なのだろうか。

 

介護の仕事を楽しんでいたのに

言葉を交わすことも禁じられ黙々と死者のその後に従事する。

どちらもお仕事でありそれこそ是非ではない。

子供のために割り切って働く姿は健気でさえある。

彼女は幸福だろうか。

 

 

 

生産って、どういう意味なんだろう。

 

出来高がすべてという決まりの中で暮らしていると

数字以外の栄養を受け取らないまま人生が行きすぎる。

 

 

どう死ぬかという軸に添って

誰と生きるということも考えさせる。

 

一人で生まれてくることはないけれど

一人で死ぬこともできない。

そうなのだ、一人で生きることができないように

漏れなく死すら個で完結することはできない。

 

 

クライマックスにかけ

全編を通し流れていた死が生へ転換する。

 

鮮やかな夕陽ではあったけど

私は朝日であってほしかった。

 

 

 

第75回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門カメラドール特別表彰。

これは世界的に肌で感じることができる問いなのだ。