together with global breathing

こころが動いたことを綴ります。永遠に地球が平和でありますように。

二度目の新潟ヒーリングマーケット、ありがとうございました。

この度も何事もなく無事にお仕事を収めることができました。

主催の方、ご出展者であり新潟チームをまとめてくれている皆様、

会場にお越しくださった皆様へ、心からの感謝を。

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二回目の出展とあり会場も泊まるところも周辺環境も分かっている(つもり)、

案ずることなく向かう。こうやって当たり前になっていく非日常。

 

いつもと違う体験や風景を提供できると素晴らしいなあと思いつつ

できることや交わされる会話が変わらずに一年を過ごせていることが奇跡。

 

去年も受けましたよーと気さくにお声をかけてくださる方には感激。

覚えていなくてごめんなさい、でもむちゃ嬉しかったです。

 

この一年をどう過ごされていたのですか、など気の利いたことも聞けず

うふふとコンコン叩いて爽やかにお別れする。一期一会が育まれる喜び。

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施術が終わってお代を頂くときにしばし問答があった。

 

10分以上やってもらっている、去年もそうだった、

その時に来年も来ますからその時には時間の分だけお支払いを頂きますって

仰っていたのだから今年はお支払いします。

 

トークセンは10分でも血行は良くなり視野が広がって

筋肉の凝りや滞りも流れて体が楽にはなる。

 

しかし明らかに肩こり苦節20年という猛者や

偏った言動にさらされ続けている耳、

静止した姿勢で画面からブルーライを浴び続けている目、

コンディションに合わない地場への訪問を繰り返しているエネルギー、

こころのさらに深いところからの悲しみや寂しさ、

無意識にあふれる感情、

諸々の条件が整いすぎている心身の悲鳴を無視できない。

そんなときは数分延長してしまうことは、ままある。

 

寧ろお客様の次の御用時に響かないように…と

ナチュラルに延長してしまう。

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とんでもない、黙って延長してしまったのは私のほうで・・。

ありがとうございます、それだけの価値を認めてくださって。

そして可能ならお身体をさらにご自愛なさってくださいね。

と、その時に言えなかったことを書き置く。

 

今回も時計を忘れてきてホテルのを借用したり

見えるところに置いた腕時計が床に転がっていたり

若干、腹時計的なお仕事がバレていたのではという一抹の不安がよぎったものの

えへへーと和やかに(誤魔化し?)その場を凌ぐのであった。

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非物質的なことへどれくらいの価値をみいだすか、対価として妥当か、

貨幣経済にかわるものをずっと考え続けている。

本を読んで考えているだけなのだが、これという人のお話も染みてこない。

これという交換の創意も人類意識的に萌芽のまま。まだ立ち現れない。

もう少し待つ身であろう、発芽を見逃さないように。

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守秘義務はあるのだが、最後のお客様のことを書いておきたい。

 

名アンバサダーでありコンシェルジュとなってくださったブロっ子mikaさんが

お連れくださったのは小柄で綺麗な彼女だった。

華奢で腰が低いその方の体調を伺うも触られ慣れていないのは明らかだった。

 

何をお望みなんでしょう…とじっくり耳を傾けていくうちに

全く話題は違う方向に行ってしまいご本人さえ

「私、どうしてこんなことを話してしまったんでしょう」。

もちろんそういうことは現場あるあるなので想定内ですが。

 

背後からコンコンしていると前に向けて話される声が聞こえないことがある。

ざわざわと人が行きかい音楽がかかる会場は

それなりの活気があって流動感は心地よいのだが

元気がない方のお声を拾うのは結構難しかったりする。

まして今回は私の耳もおかしかったために施術に集中できない。

 

彼女のお話はぶつっと切れてまた違う方向からやってくる。

そのどれもが冷たい理不尽な体験ばかりで

何一つ聞き落すことはできなかった(ミミダンボ)。。

 

その途中で懸念のご家族ご親戚が次々にやってきたり

彼女の携帯に普段関りのないような人からどさどさラインが入ったり

こころのほどける具合で回路が開き通りがよくなっていくということを

今ここで体感なさっていた。

 

施術だけは鈍らせまいと思っていた私のエゴはうっちゃって
(時間内で不満足ながらボディは終了)

彼女と共に居る、ここだけでしばし過ごすことにした。

聴くということに全集中すると武者震いと共に大汗をかく。

 

何かしらの交換が行われていたのだが

ふっとお話が止まって、背中にそおっと置いた手のことを

「こんな風にしてもらったことがないから…気持ち良くて」

しっかりと受け取っておられること、またとても嬉しい。

気づきの美しさを伝えるも到底受け取れないとのこと。

 

少し推してしまったけど、本当に彼女は美しかった。

 

「私の名前を知っておいてほしい」と丁寧にお名前を書いてくださった。

 

ホタルノヒカリが流れる会場で

約束を交わしたのだろうか。

 

去年は彼女のご家族を施術していた。

 

また生きてお会いできますように。

 

 

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たまーに、ハンドクリームとかお線香とかありがとう香とか

「薫るもの」というテーマで販売をしていた。

創造とはどんな短いご挨拶でも生み出す力がいる。

今回はそこまでたどり着けなかったのが反省。

 

色々と開発しているつもりでも

一人で完結していたらそれは資源への冒涜。

贈り物をいただき扱うことができるのであれば

世界へ還元していくべしと常々心がけてきたのにできなかった。

 

自己管理を怠ったために地球への借りがまた一つ増えてしまった。

ごめんなさい。またがんばろ。チャンスを頂けるなら晩回だ。

 

そしてまた種をまこう。

 

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今年は足で登拝に挑戦。弥彦山スカイツリーと同じ高さ。

勇んで詣でたがあいにくの土砂で道は阻まれ通行止め・・・

こちらも来年に持ち越しです。

 

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ざっと降ったりカラッと晴れたり目まぐるしいお空のもとで無事に参拝。

海岸線が沖縄の海のように爽快な青だった。

五穀豊穣を実感する黄金の田園を眺めため息が漏れる。

豊かさって。

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お弥彦さまに充分にご挨拶とお仕事のことでお邪魔すること、

地元の方へできることをしたい旨をお伝えし心からの神恩感謝。

 

下山して立ち寄った諏訪神社。ご神木の滑らかさったら。

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このあたり弥彦村は温泉だけでなく信仰のお陰で巨木も多く残っていた。

ケヤキが多い。神社だからなのかな。

 

温泉にも立ち寄れて

此度も誠に喜びあふれるイベントでございました。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下、ぼやきとか

 

 

病院で働いていたころは

病院があるから病気が治らんのちゃうかと思ったり

誰かに治してもらえる状態って

よほどの外傷や事故・事件・災害以外ないんじゃなかろうか、と思ったり

 

ちょっとしたことって

気軽に話したり愚痴をこぼせる人がいて

しんどい時に充分に休息が取れる理解があって

安心して休んで眠れる場所があれば大事にはならないんじゃないかなあと

 

必要だと思っていることってホントに自分にもそうなんかなあと

 

色々なセラピーも、「あなた(私)と関わりたい、交換したい」

というメッセージに尽きないんじゃないかなあって思ったり

そういう方々のお話を聴くと

へえーそうなん!という全く予想もしない世界観が展開し

知らないことばかり過ぎて改めて世間知らずを痛感する。

 

思考はどんどんとっ散らかるのだが

いつものように霧散してまた考え続ける。

 

こんなに何も決まってない内にあっても

外へ持ち出すときには限定と断言をしていく不思議。

何に呼応しているのかもう少し掴んでおかないと。

 

 

少しは成長しているのだろうか。

目の前のことを何とか繋いでいくことだけで一日が終わってはいないか。

 

インプット過多で吟味まで行けてないのだろうなあ。

恐れ?孤立?迷い?

 

 

精進は続くよ。

 

 

お彼岸空けて精進潔斎も終えたというのに

呑みたくならんねえ。