together with global breathing

こころが動いたことを綴ります。永遠に地球が平和でありますように。

剣山④

頂上ヒュッテに泊ることもお楽しみの一つだった。

リフトで日帰りするお客さんが帰って

静かな時間に夕ご飯と夕焼けが訪れ始める。

 

木道の東西には広めのデッキが設えてあり

ゴロゴロしながら刻々と暮れていく空を眺めていられる。

今夜のお泊まりは3パーティ9名。

初老のご夫妻、私たち、ぴちぴち女子5名。

友が「一番風呂に入りたい」というので

(男女時間制なので争奪となる予想)

ご飯前に行くことにした。

 

山で風呂に入れるというのは稀有。

立山室堂のように温泉が湧いているところは別として

水は貴重でかなり節制しているのが普通。

 

嬉しいわ、と入ったら家庭用の浴槽に8割がたお湯がたまっていて

・浴槽には入らない

・湯船の湯を一人5杯まで

・足りなくなったら次の人のことを考えてためる

・石鹸シャンプーの使用禁止

などなど、予想通り掟は厳しいのであった。

温かい季節、早い時間で良かったねといって

一杯のお湯をめちゃめちゃ大事に使って汗をぬぐった。

 

「誰か入ったよ。(陰)毛が浮かんでいる」

友の鋭い指摘に、

そうかもね~、などとテキトーに返事をした。

わはは。でもさっぱり。

 

働いている方は若い女性が多く

丁寧で温かい接客が気持ち良かった。

昭和30年から続く山小屋。

リフトがあるため電気が通っていてWi-Fiも自由。

湧き水があるためか、水は高価ではなかった。

カフェメニューやお酒も充実。

夕ご飯は季節のお野菜や川魚、とあり

肉を食べない身としてはありがたかった。

小屋のご主人、お米とおかずのいくつかは自分つくっていると。

お漬物とご飯が美味しいのに納得。

剣山頂上ヒュッテ

 

夕ご飯で飲んで食べて笑顔いっぱいになった後

9人全員で西のデッキに集合し太陽を見送った。

 

ぽったりと落ちる線香花火のように

雲が出始めたゆえの諦めを裏切り

決して戻ることはないオレンジの太陽が沈んでいった。

 

全ての人に分け隔てなく与えられている夕焼けと朝焼け。

お日様が世界に彩を放ってくれるギフト。

毎日毎日必ずある。

もっともっとその時間を空と一緒に居たい。

 

 

夜の星空も綺麗だと聞いていたが

風に流れる雲間から少し瞬きを見つけられるかどうかであった。

頂上はさすがに寒く

上下ダウンを着こんでみたものの長くはいられず。

消灯21時ころにはお布団に潜り込んでいた。

 

 

 

 

剣山③

お山歩きで嬉しいのは尾根に出たとき。

少しの平地にホッとして頂をまたぐ風に帽子をとられ。

瀬戸内海を超え大山まで心で遠望す。

 

西日本の尾根でとりわけ美しいとされる、剣山から次郎ぎゅうを眺め。

山道はしっかりできているので安心して参道をゆく。

大剣神社方面へ。

ご神体はそそり立った巨石。

紫外線や風に侵食されたとはいえ奇妙なかたち。

鏡石、という人工的に張り付けたようなものはない。

 

柱のような岩の麓からコンコンと湧き出ている泉。

冷たくてまろやかで

空すら写していない純粋さ。

身体を維持し、生きていくために欠かせない水。

薬を飲んで治そうとするときに触媒になるもの、水。

それがまっさらであるほど

体そのものの力を潤し引き出してくれるのは体感で知っている。

真水さえあればどんな見放された病も癒されるのではないだろうか。

きっと届く。

あの人にも。

ぐびぐびと喉を潤し

さあさ、頂上を目指すのみ。

立派な岩々があちこちに。

尾根には獣道も多数ある。

しかし四国にはたった20頭しか熊はいない。

出会いは奇跡。

誰も鈴を鳴らさない。

晴れたり曇ったり。

風は穏やかに湿気を流していく。

直射日光を和らげてくれる林道がないけれど歩きやすい日差しだった。

久しぶりに会う友と話しながらでも息が上がらない。

 

近況報告をたっぷり。

ご家族のお話しも聴く。

テキトーに生きている自慢をお互いしながら

今はどういう状況なのかということ

掴んでいること

そういうものも正直に話ができるし聴ける。

 

テキトーだとあんまり不安はないのかもしれない。

だから悲観的にもなってない。

将来の見通しも互いに違っていて、それがいい居心地。

 

こういう分かち合いができることからも

心に希望が持てると確認するのだった。

 

 

1955mの三角点は触れられないようになっていた。

頂上は木道で整備され、最新式のにおわないエコトイレも。

 

神輿を担ぐ神事が毎年7月に行われ

頂上ヒュッテは予約受付開始と同時に満席になるほど。

 

失われたアークだとか、ソロモンの秘宝だとか

様々な憶測と夢が舞う剣山。

平家の落ち武者らが安徳天皇を匿った説からの

小さな都を作り隠れ住んでいたという定説すら霞む。

 

ごちゃごちゃ考え込まない。

次郎ぎゅうの方へ足を向ける。

菜の花や鮮やかな緑に囲まれた湧き水。

甘い。味がしないのに。

 

 

 

剣山②

線状降水帯の通過後であったため

細い山道は川になった様子がうかがえた。

落石と土砂と折れた枝が載積。

役場の人がどけてくれる。

おかげで車が入れる。

こういうインフラ整備は現代において大事なのだ。

その先に集落があるということ。

細やかに落ちる滝が日差しに輝いていた。

そうはいっても岩戸神社までの途には

車のお腹をこするほどのまあまあの落石があり

どうにか無事にたどり着けますようにと祈りながらゆく。

 

奥宮は山奥に止めた車からさらに少し山を上がったところ。

巨石として祭ろわれていた。

 

祠前にある石舞台で舞う、そんな伝統をまだ繋いでいる。

天に遮るものなく樹木に囲まれながら奉納する文化。

捧げたり祭ったり、そんな国に生きていることが誇らしい。


土砂崩れまでいかず、

石のお山が砕けて落ちていた。

石英のかけら。

大地はあと何年したら水晶の輝きを放つのだろう。

 

 

 

剣山①

田植えの時期ど真ん中だというのに

お仕事を挟んで四国へ飛んだ。

さぼってごめんなさい。

加茂の大楠。

説明不要の威風堂々。

手入れが行き届いていて

バランスがとれるよう枝は剪定され

牛ほどもある枝を支える支柱は定期的に交換。

やっと会えた…。圧巻。言葉を失う。

 

枝の下にはとうとうと水をたたえた田。

木陰でピクニックの親子。

地域に大事にされ1000余年。

 

 

東京で大雨にあい新幹線が運休になり

予定を大幅に変更せざるを得なかった。

あまり良いスタートではない気がしていたけど

楠さんにいらっしゃいと言われたような青空で

いよいよだわ、と気持ちは高まった。

 

道の駅で食べた釜揚げそうめん、

温かい四国でたわわに実る柑橘のストレートジュース、

「あめご」と呼ばれる(ヤマメらしい)川魚、

胃袋喜ぶご当地グルメ

 

温泉はさらりとした湯質で肌に優しい。

風呂からも部屋からもごうごうと川の音。

 

巨樹王国というだけあって豊かな森。

雨がたっぷり降る徳島で

栃や赤松、榎、ウラジロノキ、二本杉、樅ノ木、エドヒガン、、

一日では会いに行けないほど一宇つるぎ町は巨樹の里なのね。

すでに再来を心に決めてしまうほど魅力的なのでした。

 

観光案内|観光案内(自然)|巨樹王国 - つるぎ町

 

 

ザ・ホエール

重度の心不全症状と肥満、余命僅か。

家族への悔恨、喪失と癒えない傷心を抱え

人生を思い残したくない男の話。

https://whale-movie.jp/

「僕は信じたいんだ、

人生でたったひとつだけ、いいことをしたと」

 

 

 

遺言となる姿をさらし破壊するパソコンは象徴的。

 

暴飲暴食で吐くまで食べ感情を収めようとしたり、

健康保険がないからと言って頑なに受診しないチャーリー。

これらは緩やかに死を早める自己破滅行為。

 

その一方で

率直すぎて周囲の無理解に孤立する娘エリーには

君は素晴らしくて完璧なんだということを伝え続ける。

人をケアするように生きていってほしいと願うことに

生きるを放棄する行為は矛盾しないのだろうか。

 

娘だって父には生きていてほしい、健康であってほしいと思う。

エリーの気持ちに思いを馳せなかったのか。

 

エリーによって救われる(と描かれている)トーマスを見て安堵する。

娘を信じている自分に救いを感じただろうか。

 

リズに身の回りのことを頼み自分を委ねることで

替わりに直視できない事実に寄り添っていたのだろうか。

 

あなたはいつもポジティブだった、と元妻に言わしめるが

自分の人生をとっくに見放し

喪失の中で浸る自己陶酔ではなかったのだろうか。

 

 

ゲイ、肥満、引きこもり、妻と娘を捨て恋を選んだ。

そんな受け入れがたい隣人は生きるを頑張らない。

 

助けや手立てから遠ざかるスタンスは

周りにもそうしたほうがいいのでは、という思いにもさせる、

と考えることはなかったのだろうか。

 

 

 

ベルギーでは2014年から、

オランダでは最近になって

安楽死の対象年齢制限を撤廃した。

親の同意があれば何歳でも可能になった。

何歳でも、だ。

 

「お母さん、学校でいじめられて耐えられないから安楽死して」

と言われたら。

16歳以下で親が同意したら安楽死できるということ。

 

 

令和4年、日本の小中高の自殺者数は514人。

毎日1.23人ぐらいの計算。

統計を取り始め過去最多。

子供の数が毎年減り続けているというのに。

遺書や明確に自殺と確定できていない人数や

失踪者を覗いての統計。

 

安楽死したいって言ってくれる関係や

言える大人がいるだけまだ命は救われるという事だろうか。

 

 

 

 

アカデミー取ったとて

ルッキズムを助長してはいないか

差別と偏見を強化してはいないか

共鳴する輩を増やしてきたのではないか

そこを新しい市場にして肥えてきたのではないか

 

チャーリーの苦悩と選択は

そこにテーマがあるということではないか。

 

 

それはどういうことか、

その人はどういう気持ちか、

どんな背景があってこんな風になったのだろうって、

考える隙を与える前に価値観を植え付け

どんないのちだって

生きているだけでいいんだということを

無かったことのように葬ってきたんでしょう。

 

弱さを充分に受け入れて

それでもひたむきに生きているいのちにどれだけ無礼か。

 

 

 

チャーリーがこわだったエリーのエッセイ。

8歳の少女が感じたままに書いた白鯨の感想文。

「自分の問題を先送りする、少しだけ」

 

もう後がない(死期が近い)と感じたときに

先送りしないと腹をくくったのは立派だった。

それを蟠ったままの家族に晒した姿には勇気を感じ。

生徒にも娘にも正直であれと言い、実行した。

でも

死が彼の解放を後押しした、という美談にはしてほしくない。

 

 

死すらもう少し先延ばしにすることもできたのではないだろうか。

 

 

「いいこと」って思えましたか。

 

 

 

 

 

以下蛇足。

 

 

ブレンダン・フレイザー、… 誰かわからなかった。

メイクは特殊撮影より進化しているのか

もしくは久しぶりすぎたのか。

ハムナプトラのイメージからすると

本作に込める期待がうかがわれる。

 

余計なお世話だけど星をチェック。

1968年12月3日インディアナポリス生まれ。

 

月金星冥王星が土のグランドトライン。

月と海王星オポジションでカイトを形成。

神がかった才能、芸能で財を築く相。

木星天王星、革命で恩恵を受ける。派手にやる。

吉兆混合の年齢域。

土星オポ火星。現実化力を対人関係で発揮。

太陽合水星・射手座。

深遠なテーマで文筆活動、表現を通してパイオニア目指す、お勧め。

 

2020年のグレコンにp太陽オン。

冥王星トラインが後押し。

昨年は木星のオポ+海王星で開花。


2032年にp太陽に冥王星が乗るぞ。

一皮むけた偉業を成すか期待。

 

 

 

逆転のトライアングル

コメディにしてはシュール。

資本主義が嫌で嫌でたまらないのに

次の手立てがない。

https://www.youtube.com/watch?v=C_ptst8U-tA

 

お金と権力、

強欲と放蕩クルーズ。

共感する隙間はないのに

人間臭さが響いてくる。

 

鑑賞後の後味の苦さというか

深いため息は

雷雨の中で霧散しますように。

 

雨のち虹。

 



 

 

 

 

 

 

気づいたこと、いくつか。。

ネタばれ含み。

 

 

グルテンアレルギーと言ってたややさん。

プリッツ食べているけど大丈夫なのか。

方便だったのか。

グルテンフリーか。

極限では何でも食べられるようになるのか。

 

ロバを殺したのなぜ。

夕ご飯に焼き肉か。

その後の絵がない。

おじさまの変化を表現か。

 

車いすのミセス。

登場シーンでは見事な右麻痺車いす

そして言葉を理解できるが発語できないブローカ失語

島に打ち上げられてからは左麻痺になってた。

失語は変わらず。

なぜ?!

 

 

細かいけど気になると白けてしまう。

作品は丁寧に作ってほしいものです。

 

 

小さき麦の花

小さい麦の花がゆらゆら。

光の大本に向けただただ芽を伸ばす。

風に吹かれるように時代に身を任せざるを得ない二人。

 

農を生業にするヨウティエ。

不具合を抱えてきたクイイン。

 

2022年、中国からあまりに優しい物語が届いた。

英題がReturn to Dust

日本語副題では、いつか土に還る

https://moviola.jp/muginohana/#modal

 

 

労りとか想うとか

慮るとか捧げるとか

愛に代わる言葉や行為は数多ある。

 

「このロバは私より幸せなんだろうなって思ったの」

「ずっと見られてて恥ずかしかった」

 

言葉の無力を越え行き交う思いは

虐げられてきたという背景と孤立を

声に上げる必要もなくさせる。

 

土から産まれてくるあらゆるものを友に

卵から孵った雛を愛で

水を汲んだバケツからオタマジャクシを逃がし

荒れた土地を開墾しながら

季節とともに暮らしが巡る。

 

草で編んだロバはクイインの手作り。

色あせてもヨウティエを支え続ける。

 

三度も家を土に還した。

人が生んだ資本が間に入ろうと関係なく

生きることが繰り返される。

 

 

二人きりで

食べるもの、住むところ、

ロバや鶏という命を

育てていく様は

人間でありながら地球に住まう動植物たちと

同じ輪っかの中で生かし合っているように感じる。

 

大地に近い日常こそ

自然界と共生できる。

 

まっしろだったり

まっくろだったり

単一を極めたものごとは

循環の中で淘汰され純度を増していく。

 

地底奥深くに結晶化された鉱物や石油。

それらと同じ波でいられる意識を保てば

あらゆる感情に鈍麻していくだろう。

 

悲しみも怒りも無くなるけれど

喜びや感動も同じように。

 

翻弄されることが無くなる一方で

手放していくことも同じだけある。

 

天国で死なずに居続けるのって飽きるかもしない。

そう思うと

この世はとっくに極楽なのでしょう。